毎日積み重ねる『自分づくりの授業』
本日のテーマ

【武士の禁煙】

 

 

わたしがこよなく尊敬する歴史上の人物の一人に、長州藩士の高杉晋作がいます。
幕末の革命児といわれ、時代を大きく動かす功績を残した人です。

 

 

高杉晋作(たかすぎ しんさく1839-1867)は、長州藩の武士。吉田松陰の松下村塾で学び、幕末に長州藩の尊王攘夷の志士として活躍。当時で考えられなかった身分制度を打ち破り、農民から兵隊を徴収し、奇兵隊を創設、長州藩を倒幕に方向づけた。

 

本日は、「高杉晋作の武士の考え方」というお話です……。

 

 

この高杉晋作が、まだ松下村塾の塾生の頃の話です。
晋作は、喫煙を16才からしていました。あるとき、煙具をどこかに落としてしまい、喫煙ができないことでイライラし、困ってしまいました。そこでこんなにイライラするのなら、こんなものを喫う習慣は身につけないほうがよかったと、つくづく思い、よい機会だから、いっそのことやめてしまおうとキセルを折ってしまいました。…1857年9月のことです。

 

実は、この頃、松下村塾では喫煙が流行っていました。師である、吉田松陰は、酒も煙草も、無用なものという考えをもっていましたが、塾生たちには押し付けようとはしませんでした。ある日のこと、塾生の一人が、皆の前で、キセルを折り、禁煙を誓いました。すると他の塾生もそれにならい、禁煙を誓い始めました。松陰は、塾生の自発的な行為に、大変喜んだそうです。
ですが、半年ほど経って禁煙を破った者が出ました。富永有隣(とみながゆうりん)という38才の松下村塾の講師でした。我慢の限界が来て、隠れて吸っていました。晋作はこれが許せなかったのです。晋作にすれば、単に喫煙だけの問題ではなく、意思の弱い人間は、他のことでも役に立たないと、ずい分非難しました。相手が年長者だったから、なおさら腹立たしかったようです。
有隣は、その事が原因で、若者たちの間ですっかり信用を失ってしまいました。
維新後は、塾生だった伊藤博文や山形有朋らの出世した連中の悪口を言いながら、生涯を終えました。

 

 

この当時、「武士道では、二言(言い直し、うそ)はない」という精神があり、今とは違い、「禁煙の失敗は、人間として意思が弱い、だから他のこともできない」と判断されて信用を失くしてしまうほど厳しい世の中だったのです。

 

意思の強さは、その人を表すのですね。

禁煙の宣言を人前でする前に、このことを思い出して、自分の意志の強弱の確認をしてみてはいかがでしょう。

 

 

本日は、「高杉晋作から武士道を学ぶ」というお話です。