田崎廣助の生家 |   八女でゆったり 一日一生

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          子どもが好きだから小学校教員になりました
                   未知の世界を見たくて海外に飛び出しました
                    現在はお茶どころ福岡県八女市に住んで世界とつながっています

私が勤める『八女市田崎廣助美術館』には、

八女市が生んだ洋画家 

田崎廣助の作品や遺品などが展示されています。

 

田崎廣助は現在の八女市立花町北山に生まれ、

現在の福岡教育大学を出た後、

八女で教員をし、

その後東京へ出ました。

 

東京でも絵の勉強をしながら

教員をしていましたが、

関東大震災に遭い、

京都へ移りました。

 

そこで同僚だった奥様と結婚し、

教員を辞めて画業に専念。

 

数々の賞を受賞し、

文化勲章を受章するまでになります。


その田崎廣助の生家が、

美術館から車で15分ほど走ったところに

今も残っています。

 

 

美術館から八女市街に向かって走ると、
田崎廣助がよく投網をしたという

清流矢部川があります。

 

矢部川にかかる大きな橋を越えてすぐに左に曲がり、

川沿いの道を走ります。

 

この道からの眺めは素晴らしく、

なるほど、こんな風景を見ながら生活していたら、

田崎廣助のような感性が育まれるだろうな、

と納得させられます。

 

 

その道の突き当たりを左に折れ、

赤い橋を渡ると左手に郵便局が見えてくるので、

その手前を左に曲がります。

 

道なりに走っていると

『田崎廣助画伯生家』の看板が見えます。

 


 

田崎廣助の生家は昔ながらの木造の二階家で、

今は空き家になっていると聞きました。

 

広いお庭があり、

木が何本も植えられ、

石灯籠が置いてあるのが道端から見えます。

 

この家の中で田崎廣助が好きな絵を描き、

ここから学校へ通い、

この辺りから八女富士とも言われる

飛形山を眺めたのだなあと思うと、

なんだかこの辺り一帯が、

とても愛しい土地のように思えました。

 


先ほどの赤い橋を渡った先には他にも、

手作りかりんとうで有名な

『手づくり工房 カリカリ堂』や、

普通選挙法成立に尽力した

大内暢三の生家『旧大内邸』、

かつて柳河藩の御用窯として栄えた男ノ子焼焼物を

再興し陶器の展示販売を行っている

『男ノ子焼の里』などもあります。

 

ぜひそれぞれの場所にも訪れてみたいなと思っています。