子どもが安心する家庭環境作り | 家庭を子どものBASEに 佐伯和也公式ブログ

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子どもが思う存分遊ぶ(ゲーム含む)ことで、知的好奇心が育ち、それが勉強にも繋がっていく

子どもが自ら勉強をしたり、学校に行くために、必要最低限のものは、

 

『子どもが安心していられる家庭環境』

 

です。

 

『安心安全』という言葉で語られることもあるけれど、安心に安全は含まれるだろう、ということで一括りにしました。

 

 

 

ここで考えたいのは、あくまでも、子どもが"自分から"勉強をしたり、学校に行くこと、ね。

 

しかも、必要最低限のもの、なので、

 

『子どもが安心していられる家庭環境』

 

を整えたところで、学校がそういう状況になっていなければ、子どもは学校へ行くとは限らないです。

 

 

 

 

子どもが家庭の中で、安心していたり、自分らしさを出すことができていない状態で、子どもが勉強をしない、学校に行かない、という状況になったとします。

 

そうしたら、子ども以外の誰かの意志で子どもをコントロールすることによってしか、子どもに勉強をさせたり、学校に行かせることしかできなくなります。

 

子どもが自分の意志で、勉強や、学校を拒否しているんだから、それでも、親が勉強や学校を求めるならば、子どもを否定して、子どもの意志を捻じ曲げるしか道はありません。

 

 

 

ちまたに出回っている育児書や、子育て系のセミナーでも、まだまだ子どもを上手いことコントロールしようとしているものは多いです。

 

「子どもを褒めて伸ばす」

 

とか、

 

「子どもが勉強をしたくなる」

 

とか。

 

 

 

「じゃあ、佐伯さんは違うのか?」

 

って言われると、これがまた違いません(笑)

 

 

 

僕のブログを読んでくれている方は、お気づきでしょうけど、僕はあくまでも、

 

「子どもが"自分から"勉強をする」

 

っていうことに、並々ならぬ強さでこだわっています。

 

これは、僕の価値観であり、子どもを「"自分から"勉強をする」っていう方向に持っていこうとしています。

 

(そのせいで、このブログを読んで傷つく人もいるでしょう。ごめんね)

 

(それでも、書くのをやめないけど( ̄▽ ̄)笑)

 

 

 

 

 

ただ、現代教育の常識と違う点は、

 

「子どもに、一切の説得をしない」

 

っていうところです。

 

 

 

「勉強をすると、将来の役に立つよ~」

 

も言わないし、

 

「勉強をしないと、将来、困るよ~」

 

も言わないし、

 

「お願いだから!勉強をして!」

 

も言わないし、

 

「勉強しないと怒るよ!」

 

も言わないし、

 

「勉強してくれないと、悲しい気持ちになるな~」

 

も言いません。

 

 

 

勉強をするかどうか、学校に行くかどうかは、100%子どもの意志によって決定されるべき課題です。

 

なぜなら、子どもが勉強をするのかどうか、学校へ行くのかどうかは、僕には関係ありませんからね。

 

親にも、先生も関係ありません。

 

 

 

子どもが勉強をするのかどうか、学校へ行くのかどうかは、100%子どもにのみ、関係のあることです。

 

だから、僕らが子どもを説得することで、勉強をしてもらったり、学校に行かせようとする関わりは、子どもの主体性を奪います。

 

言い方を変えれば、自分の力で生きていく力を養う機会を奪います。

 

 

 

 

 

僕がこだわっているのは、あくまでも、

 

「子どもが"自分から"勉強を始める」

 

っていうことです。

 

 

 

つまり、子ども自身が

 

「勉強って、めっちゃ楽しい!!」

 

「えぇ!!これって、どうなってんの!?知りたい!」

 

「う~ん・・・分かりそうで分からない・・・もうちょっと考えてみよう」

 

とかとか、勉強をすること、学ぶことに対して、興奮を覚えるような状態になってほしい。

 

 

 

それが僕の価値観であり、僕の願いなんです。

 

なんでこんな願いを持っているかと言えば、僕が子どもと学問談義をしたいから、です。

 

そんだけです(笑)

 

 

 

一応、子どもが自分から勉強をすることは、今の社会の要請とも合っている気がするので、こうして発信をしているわけです。

 

 

 

 

 

 

で、僕の考えによれば、

 

「子どもが"自分から"勉強を始める」

 

っていう状態を求めるのであれば、それ以前に、家庭の中で、

 

「子どもが自分らしく振る舞えている」

 

っていう状態が必要です。

 

 

 

それは遊びかもしれないし、発言かもしれないし、行動かもしれません。

 

子どもは、ほっとくと意味不明な言葉や、動作をします。

 

いきなり踊り狂ったり、半狂乱になったり、卑猥な言葉を発したり。

 

 

 

それを『躾』と称して、裁いてしまうこともできます。

 

「汚いから、やめなさい」

 

「ふざけてないで、○○しなさい」

 

とかね。

 

 

 

子どもの発言や、行動は、全て子どもの『主体性』に基づいて実行されています。

 

だから、子どもの家庭での振る舞いを制限すればするほど、子どもは『主体性』を失い、自分から自分らしさを制限し始めます。

 

 

 

親は、子どもの意味不明な行動や言葉を制限さえしなければ、理解する必要はありません。

 

好きなようにやらせておけばいいんです。

 

 

 

ただ、親のお金を盗んだり、家のものを壊したり、親を叩いてきたり、子どもが自分以外にも影響を与えることに踏み込んでいった場合は、子どもと話し合う必要が出てきます。

 

そして、必要であれば、ルールを設定することも必要になるでしょう。

 

でも、家庭内であれば、子どもに課すルールは、それほど多くないかな、と思います。

 

子どもが納得しているルールなら、子どもにルールを課しても、自分らしさは失われないし、むしろ、もっと思う存分に自分らしく振る舞えると思います。

 

ルールを設定する場合は、あくまでも、親や、子どもが、ルールを設定してからの方がイキイキと安心できるのかどうかをチェックする必要があります。

 

 

 

 

 

 

 

子どもが家庭の中で自分らしく振る舞えていない状態だと、子どもが意識するのは、自分らしさの解放です。

 

時には、自分を物理的または、精神的に守ることです。

 

『自分を守る』っていうのは、「親に怒られないように、○○しないでおこう」みたいなやつです。

 

でも、子どもの中には、自分を解放したい欲求もあります。

 

 

 

子どもにとっては、優先順位は、

 

勉強 <<<<< 自分らしさの解放

 

です。

 

 

 

自分らしさを解放できていないんなら、勉強なんて眼中にすらありません。

 

そんな状態で、

 

「勉強しなさい!」

 

とか、遊びを制限すると、何が起こると思いますか?

 

 

 

子どもは、自分らしさを殺し始めます。

 

個性を出さないようにつとめます。

 

親に、認めてもらうために、です。

 

 

 

そこまで来ると、もはや子どもが自分で、何かを考えたり、決めたりすることをやらなくなっていきます。

 

親の機嫌や、顔色を窺い、自分らしさを抑えて、当たり障りの無い行動を取ります。

 

 

 

 

 

でね。

 

 

 

 

 

そんな状況での

 

「勉強したくない!」

 

「学校に行きたくない!」

 

は、自分らしさを守るための最後の抵抗でもあるわけです。

 

 

 

「勉強とか、学校とか、成績とか、見てるんじゃなくて、僕を、私を見てよ!」

 

っていう子どもの主張です。

 

 

 

勘違いしちゃいけないのは、子どもは、親を責めたいわけじゃありません。

 

『大好きな』親に対しての主張なんです。

 

親が大好きだからこそ、親に見てほしいんです。

 

だから、親に対する反抗は、

 

「大好きだ!」

 

っていう愛の告白でもあるわけ。

 

 

 

アドラーをちょっとかじった人なら、子どもが親に認めてほしい様を

 

「『嫌われる勇気』で否定されている承認欲求だ!」

 

って思うかもしれません。

 

 

 

ここ、勘違いすると、子どもにとってはけっこうキツイです。

 

 

 

アドラー心理学で否定している承認欲求は、

 

「承認を目的とした行動」

 

です。

 

 

 

「親に、認めてもらうために、勉強をする」

 

「先生に、認めてもらうために、宿題をする」

 

「誰々に、認めてもらうために、何々をする」

 

 

 

っていう文脈において、承認欲求を否定しています。

 

それはその通りなんです。

 

 

 

 

 

ここからが、ものすごく大切な話です。

 

 

 

「今まで、承認されてこなかった人が、承認欲求を手放すことは非常に難しい」

 

っていうこと。

 

 

 

特に親からの承認を得られていなかったら、大人になっても、他者からの承認を求めて行動をすることは往々にしてあります。

 

つまり、親が、子どもを承認した機会が少ないと、

 

「子どもが"自分から"勉強をする」

 

すなわち、

 

「子どもが"親からの承認を求めずに"勉強をする」

 

っていうことは、実現しない確率が非常に高くなります。

 

 

 

なぜか?

 

 

 

子どもは、親の承認を求める生き物だから、です。

 

 

 

さらに、もう一つ。

 

 

 

子どもが必要としている承認には、限度がある、っていうこと。

 

つまり、親が積極的に子どもを承認していると、そのうち子どもの方も飽きます。

 

「分かった分かった」

 

とか言いながら、親を追っ払うようになります(笑)

 

 

 

なぜなら、もう十分に自分が満たされたから、です。

 

自分が満たされたら、もうそれ以上は必要ないわけですね。

 

 

 

 

 

 

 

最後に、ちょっと難しい話を書きます。

 

ここまで書いた話は、

 

「子どもに構う時間を作ればいい」

 

っていう話でもないし、

 

「子どもに注目を与えればいい」

 

っていう話でもないし、

 

「子どもを褒めればいい」

 

っていう話でもないし、

 

「子どもに勇気付けすればいい」

 

っていう話でもありません。

 

 

 

あくまでも、子どもに必要なのは、

 

『子どもが安心していられる親子関係』

 

だし、

 

『子どもが安心していられる家庭環境』

 

であって、行為や、動作の話ではありません。

 

 

 

だから、よく「子どもにどういう声掛けをすればいいですか?」みたいに聞かれることがありますが、

 

『子どもが安心していられる親子関係』

 

『子どもが安心していられる家庭環境』

 

が整っていないのであれば、その状態でどんな声掛けをしたって、あんまり効果はありません。

 

 

 

親子関係や、家庭環境は、日々のコミュニケーションの蓄積で形作られていきます。

 

今、なかなか辛い親子関係や、家庭環境が築かれているんだとしたら、それは長い時間をかけて構築されたものだと思います。

 

だから、その親子関係や、家庭環境を変えるためには、日々のコミュニケーションを変えて、なおかつ、ある程度の長い時間を持ってジワジワと変えていくしかありません。

 

 

 

言い換えれば、子どもの成長は、親のコミュニケーション習慣によって、大きく左右される、っていう言い方ができます。

 

 

 

 

 

 

これ、ちょっと想像してみたら分かるかと思います。

 

例えば、職場の嫌いな上司がいたとします。

 

その上司が次の日に、いきなり優しくなるとどうでしょう。

 

「こいつ、なんか企んでるんじゃないか?」

 

って思うでしょう?笑

 

 

 

で、

 

『子どもが安心していられる親子関係』

 

『子どもが安心していられる家庭環境』

 

ができたら、その時には十分な『主体性』が子どもに身に付いていると思うから、ほっといても勉強したり、必要だったら学校に行ったりします。

 

 

 

この2つを作ってきていなくて、なるはやで子どもに勉強させたり、学校に行かせたい場合は、子どもの意志を無視して、強制するしか手立てがない、っていうことです。

 

なぜなら、勉強や、学校なんかよりも、親の承認を得たいから、です。

 

 

 

 

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