太宰治「一つの約束」は、まるでミサイルのような働きをしているような思いがするときがある。
太宰治「一つの約束」
難破して、わが身は怒濤に巻き込まれ、海岸にたたきつけられ、必死にしがみついた所は、燈台の窓縁である。やれ、嬉しや、たすけを求めて叫ぼうとして、窓の内を見ると、今しも燈台守の夫婦とその幼き女児とが、つつましくも仕合せな夕食の最中である。ああ、いけねえ、と思った。おれの凄惨な一声で、この団欒が滅茶々々になるのだ、と思ったら喉まで出かかった「助けて!」の声がほんの一瞬戸惑った。ほんの一瞬である。たちまち、ざぶりと大波が押し寄せ、その内気な遭難者のからだを一呑みにして、沖遠く拉っし去った。
もはや、たすかる道理は無い。
この遭難者の美しい行為を、一体、誰が見ていたのだろう。誰も見てやしない。燈台守は何も知らずに一家団欒の食事を続けていたに違いないし、遭難者は怒濤にもまれて(或いは吹雪の夜であったかも知れぬ)ひとりで死んでいったのだ。月も星も、それを見ていなかった。しかも、その美しい行為は厳然たる事実として、語られている。
言いかえれば、これは作者の一夜の幻想に端を発しているのである。
けれども、その美談は決して嘘ではない。たしかに、そのような事実が、この世に在ったのである。
ここに作者の幻想の不思議が存在する。事実は、小説よりも奇なり、と言う。しかし誰も見ていない事実だって世の中には、あるのだ。そうして、そのような事実にこそ、高貴な宝玉が光っている場合が多いのだ、それをこそ書きたいというのが、作者の生甲斐になっている。
第一線に於いて、戦って居られる諸君。意を安んじ給え。誰にも知られぬ或る日、或る一隅に於ける諸君の美しい行為は、かならず一群の作者たちに依って、あやまたず、のこりくまなく、子々孫々に語り伝えられるであろう。日本の文学の歴史は、三千年来それを行い、今後もまた、変る事なく、その伝統を継承する。
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コメント
コメント一覧 (13)
石垣をつくる集団、宮大工の集団、などのように文章のプロ集団がいたのかもしれません。
記憶と作者の想像力が結びつくとかして、物語が生まれる
そういうこともあるかもしれません。
いやむしろ悪人でないとできない
ということに気が付く必要があると思います。
豊田議員がパワハラで問題になっているのは
自衛隊やトヨタでパワハラがあったりするので?
婆さんの関係妄想はトンデモナイ結びつけをしてしまいますが
しかし、うーんっていう感じになってしまいます。
これは日本は核廃絶を大きく掲げるべきですね。
何よりも、日本で実験が行われてきた、それを受け入れざるをえなかった
ということがあったりする?
遡れば、やはりGHQのG2に日本の特務機関が吸収された、ということがあったから、ということなんでしょうね。
その特務機関というものを考えてみると、江戸時代は、情報収集、あるいは様々な工作が、幕府、各藩で行われていた?
身分制度が固定していたので代々そういう諜報担当の家系というものがあった?
あるいは武士階級でも、長男以外は家の維持のために、情報収集役を受け持ったりした?
などなど想像が広がってしまいます(汗
サイバーテロなどもあり、戦争というものができなくなっているのではないでしょうか。
それでも戦争に踏み切ったとき、勝者というものがない状況になる
のではないでしょうか。
えっ、トランプ大統領は・・・・・
それに、アメリカは潜在的な敵を多く作り過ぎたかもしれません。
従って、今アメリカは軍産複合体からの脱皮のチャンスと考えて、方針変更の決断をするポイントであると思います。