★新春 名作「青の洞門」(恩讐の彼方に)→私たちはこの話から何を学んだら良いのか?(名作物語) | 遥かなる冒険の旅人@朝やん渡辺の幸福戦略A to Z

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<名作「青の洞門」の教えとは?>
(菊池 寛 「恩讐の彼方へ」より)
 

 

<青の洞門 伝説>
 
 むかし、樋田から青(いずれも今は本耶馬渓町)へ行くには、岩かべにつくられた(鎖渡し)の道をわたらなければならなかった。この道は、山国川の上にそそり立つ岩かべにそってつくられた道で、ここをとおるときは、岩かべにはられた鎖を命づなにしてわたっていた。それで、村人たちは、この難所を(鎖渡し)とよんでいた。
 
 鎖渡しで、足をすべらせて、下の山周川におちて死ぬ人があとをたたず、だれもがこまっていた。
 

 

 享保19年(1734年)のことであった。この鎖渡しのある岩かべに、ひとりの旅の僧が、衣のそでを背にむすんで、のみをふるいはじめた。僧の名まえは、禅海といった。

 

 

禅海は、もと越後(今の新潟県)高田藩の武士の子で、小さいころの名まえを福原市九郎といった。市九郎は10歳のときに父をなくし、母とふたり、江戸(今の東京)にでてくらしていた。

 だが、父のいない市九郎親子のくらしは、みじめなものであった。母はやがて病気になってしまった。市九郎は病気の母のことはにも耳をかさないで、悪い仲間にはいり、けんかをしたり物をぬすんだりして、ついにはもののはずみから中川四郎兵衛という人を殺してしまった。
 

 母は心配のあまり、とうとう、市九郎をのこして死んでしまった。母の死で目がさめ、悪い仲間からぬけだした市九郎はこれまでの罪をつぐなうため、僧となって、国じゅうをめぐりはじめた。そして、この耶馬渓まできたとき、多くの人たちがこまっている(鎖渡し)のことをきいて、そのままとおりすぎられなくなったのだった。
 
 「カッツン、カッツン……。」
 
 禅海のふるうのみの音が、耶馬渓の谷間にまい日ひびくようになった。とおりがかりの村人が、「お坊さん、どうなさるんで……。」と、きいた。
「この岩をけずって、青にぬける道をつくるのです。」
 
 このことばをきいて、村人たちは、耳をうたがい、顔をよせあった。禅海ほそうした村人たちにかまわず、雨の日も風の日も、やすむことなく力をこめて、のみをふるった。
 
 しずかに念仏をとなえながら、じぶんが殺してしまった、中川四郎兵衛への、罪のつぐないをしょうと、いっしんにほりつづけていった。日ましに着物は破れ、かみもひげも、伸びほうだいに伸びていった。
 
 3ケ月、6ケ月と月日がたっていった。村の子どもたちがあつまってきては、あざけて石をなげたりしても、禅海はあいかわらず、手をやすめることもなく、じっと念仏をとなえながら、のみをふるった。はじめは、わずかな岩穴であったのが、だんだんとふかく大きくなっていった。
 
それからまた、1年、2年、3年と月日がたった

 花がさき、雨がふり、風がふき、雪がふりつもっても、禅海はいっしんにのみをふるいつづけた。
じっとひとりすわって、のみをふるう禅海に、いつしか、村人たちも心うたれ、
 
「あの坊さまは、えらい坊さまじゃ。」
 
「やあ、お坊さま、わしらもかせいさせてもらいます。」
 
といって、手伝う者がでてきた。石をなげつけたりしていた村の子どもたちまでも、「お坊さま、てつだいましょう。」と、岩くず運びをてつだうようになった。
 


 

 やがて、26年の年月がながれた
 
 光もまったくとどかなくなった岩穴のおくで禅海は、なおも、かすかな灯をたよりに岩かべをほりすすめていた。
 
 そんなある日のこと、ひとりの武士がこの岩あなにやってきた。岩くずをはこんでいる村人に、「ちょっとものをたずねるが、岩かべをほっている僧は、福原禅海というものではないか。」と、たずねた。

 

 

 村人から武士のことをきいた禅海は、暗い穴の中からでてきた。年も60歳をこえているうえ、ひたすら岩かべをほりつづけたため、すっかり体がよわりきっている禅海にむかって、
 
「禅海、わすれたか。
 
わしは、お前に殺された中川四郎兵衛の子、実之助だ。父のかたき討ちにきた!覚悟しろ!」
 
と、武士がさけんだ。
 

 

 このことばをきいた禅海は、「なんで忘れましょう。この四十年間、あなたの父上をころした罪に、いつも苦しんできました。その罪ほろばしのために、穴をほりつづけているのです。もうすこしです、今、あなたの手にかかって死ぬのが本望ですが、あと三年、命をかしてください。この洞道ができましたら、いつでもあなたに討たれます。どうかおねがいします。」と、手をついてたのんだ。

しかし武士は、「いや、ならぬ。かくごしろー」と、刀に手をかけた。

 
 そばでようすを見ていた、跡田村の庄家喜作さんは、けんめいにふたりの中にはいると、実之助に、禅海の三年の命ごいをして、工事をつづけることにした。
 
 実之助は、樋田村の庄屋小川家にとまって、禅海を見はることにした。
 
 禅海は、このことがあってから、いっそうのみをふるう腕に、カをいれていった。まい日まい日、いっしんに穴をほりつづけた。村人たちも、禅海といっしょになって、けんめいに工事のかせいをした。
 
 禅海を見はっていた実之助も、早くかたきを討ちたいいっしんから、たすきがけで、てつだいはじめた。実之助は岩穴をほることをてつだってみてはじめて、この洞道をつくることが、どんなにたいへんな仕事かということを、ひしひしとかんじるのであった。
 
 「カツーン、カッ、カッ、カツーン……。」
 
 いっしょにのみをふるううち、禅海の真心が実之助のむねにひびき、身にこたえ、心のおくふかくまでしみこんできた。
 
 実之助のふるうのみのひとふりごとに、禅海へのにくしみがうすらぎ、禅海とともに洞道をほりあげることだけに、力がそそがれていった。
 
 こうして、ついに宝暦13年(1763年) の秋の夜ふけ、実之助がきてから3年めのことであった。禅海が岩かべにむかってのみをふるいはじめてからでは、およそ30年の月日がすぎていた。
 
 やせおとろえた禅海のうったのみのさきに、ぽっかりと小さな穴があいた。その穴のむこうに、月あかりの中から、山国川のしずかなながれが、禅海の目にはっきりとうつった。
 
「うううう………。」
 
 30年間の苦しみと喜びが、心の底からわきでるような声となって、禅海の口からしぼりだされた。
 
 禅海は、30年間という月日をじっとかみしめるかのように、しずかに目をとじた。
 
 やがて、目をひらいた禅海は、「中川さま、見てください。やっとほりぬくことができました。」と、いいおわると、実之助の手をしっかりとにぎりしめた。実之助も、禅海の手をにぎりしめた。

 

 
にぎりあった手に、ふたりの涙がながれおちた。
 
にぎりしめたふたりの手から、憎しみも、苦しみも、悲しみも、すべてが山国川のながれの中に、ながれさっていった。

 

 

 こうして、30年にわたる禅海の血のにじむような努力によって、青の洞門 は開通した
 
 それからのち、ここをとおる旅人も村人も、あのけわしい鎖渡しをわたることもなく、行き来できるようになった。
 
<考 察>
 


このお話は昔、小学校の道徳の副読本の中にありました。
そして、2時間かけて道徳の授業をしたことがあります。

人間は、誰でも間違いを犯すことがあります。
間違いに気づき、間違いを反省し、間違いから新しいこと、いままで気づかなかったことを学び、次のステップへ成長をするときがあるはずです。

禅海和尚もまさに、そのように行動したのです。

ただ、
やっかいなことは、そんな間違ってしまった人をいつまでも憎み、いつまでも責め、受け入れられない周りの人間がいるときがあります。

実之助の恨みは当然かもしれませんが、、、受け入れられなかったのです。それは命の問題だからかもしれません。誰でもそうだと思います。

禅海和尚の祈りにも似た感情とそれに伴う行動力が、周りの人々の気持ちと考え方を変えたのかもしれません。恨んでいる自分が恥ずかしいというか、バカバカしくなってきたのかもしれません。

とにかく、何か新しい考え方が生まれたのは言うまでもありません。

私には、よく分かりませんが、自分が相手のことをいつまでも憎み、恨み、許せないという感情が続くような時は、平穏ではなく、逆に相手に見えないところで相手の意のままになっているときのように思えます。恨む相手に、同じような感情でさらに恨むような行為は、自分をますます平穏と反対方向へもっていくと思います。私の体験からはそうでした。

そんな気持ちでネットでうまい表現があるか探してみました。
こんなのがありました。どうでしょうかね?

人をずっと恨んだり、憎んだりする気持ちがいかにマイナス行為かはみなさんのほうがよく知っていると思います。

人間関係】他人を許すのは、他人の意のままにならないための大切な心の持ち方である。

 

人を非難することが、どんなに人生をむなしくダメにしているかがよくわかるだろう。
 

相手が変わってくれるのをただ待つしかないのだから。
 

人を許すことは、非難しておこるマイナスを超越する手段なのだ。
 

人を非難しないで、人生の責任をとろうとすると、大変な自制心がいる。
 

それには自分を大切にすることだ。
 

自分を大切な人間だと思えば、自分の感情を他人の意のままにされることなど決してありえない。
 

だから他人を許すのは、他人の意のままにならないための心の持ち方なのである。
 

         by ウェイン・W. ダイアー