日本人で最初に世界に名を知られたオペラ歌手、三浦環(たまき)の歌劇『蝶々夫人』「ある晴れた日に」がYouTubeにありましたのでお聴き下さい。(録音は大正6年)三浦は藤原義江より14才年上ですが、これを聴くとその14年の間に日本の声楽が劇的に向上したのがよくわかります。

 

「ある晴れた日に」

 

いや〜なんというか・・・うまいのかどうなのか判断が難しいですね。声量はあると思うのですが、見事なローマ字の棒読みの上、LとRの区別が出来ていないので、これがイタリア人に通じたかどうか・・・。表現も平坦で、当時の歌い方がこういう感じだったのならわかるのですが、同じ時期に録音された有名なテノール歌手カルーソーの歌を聴くとちゃんと上手いので、どうやらそうではなかったようです。う〜ん今聴くとかなり苦しいかな。(しかし古いレコードの音源を綺麗に処理してアップして下さった方には感謝!)

 

藤原義江は昭和9年(1934年)に藤原歌劇団を立ち上げ、戦時中も昭和18年までイタリアオペラを中心に公演を続けました。その18年に藤原歌劇団としては初めて『セヴィリヤの理髪師』を公演しましたが、これは見たかったですね〜藤原のアルマヴィーヴァ伯爵!さぞ似合っていたと思います。当時の映像がせめてハイライト部分でもどこかに残っていないものでしょうか。それこそ大々的に『日本ニュース』で取り上げてもよかったような気がします。日本は記録をあまり残さない文化なのかもしれません。

 

私の好きなF・ヴンダーリッヒが伯爵を演じている映像がYouTubeに上がっていますのでご紹介します。モノクロですがとても軽快なシーンですので、オペラをよく知らない方でも楽しく観ていただけると思います。

 

こちらです→

 

ヴンダーリッヒは惜しくも36才目前に若くして亡くなりましたが、今でも世界中にファンが多いので、日本にいながらこうして映像を見る事ができるのはとても有り難いです。藤原とは唱法が違うので声の質は全く異なりますが、私はどちらも好きです。ちなみにフィガロ(バリトン)を演じているのはヘルマン・プライというこれまた上手い歌手です。

 

思うのですが、オペラ歌手には歌の上手さに加え、役者としての『華』が必要ですね。舞台に出て来た時にぱっと観客の目を惹き付けるという・・・今は海外で活躍している日本人のオペラ歌手は多いと思うのですが、どんなに歌がうまくてもやっぱり『華』がないと・・・着物の似合う欧米人が少ないように、昔の欧米の貴族の恰好をしてよく似合う日本人もあまりいないと思います。こればかりはいかに個人が努力してもどうにもならないので、歌手としての資質を持った日本人がこれからどんどん海外で活躍することを望みます。

 

ところで、さすがに昭和19年には歌劇どころではなくなったようで、藤原も軍国歌謡などを歌うようになります。藤原が自ら作曲し歌った軍歌『討匪行』は有名ですが、こちらはどうやら支那事変前のもののようです。この曲はインパクト強烈で一回聴いただけで頭にこびりついて困りました、苦笑。しかも歌詞がなんだかやけっぱちですし・・・

 

どこかに藤原の映像が残っていないか探してみましたが、ありました!

 

映画『音楽大進軍』より「愛国行進曲」

 

いや〜せっかくなのに直立不動とは・・・この映画が作られたのは昭和18年ですので、こんなつまらなさそうな内容の映画よりも、上記の藤原歌劇団の『セヴィリアの理髪師』のハイライトシーンを活かした映画を作って欲しかったところです。

ちなみに隣で力みすぎて声がひっくり返って歌っている女性ですが、本来はこんな歌い方ではなく、細いですが音程のしっかりした綺麗な歌声のソプラノ歌手です。

 

それからもう一つ見つけました。しかしこちらは昭和20年の映画ですので観ていてかなりキツい・・・とんでもない内容の野口某の作詞に、山田耕筰が軽やかな曲をつけて、それを藤原が朗々と歌うという・・・これはさすがに両者にとって「黒歴史」と言えるでしょう。私は、どんな内容であっても歴史は既に確定しているので後世それを変更してはならない、というのが持論ですが、この場面だけは10%くらい「なかったことにしたい」と密かに思っています、笑。

 

『撃滅の歌』歌われているのは『米英撃滅の歌』