怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

小銭面倒=チップ制度持続のコツかも

2017年10月09日 | カテゴリー分けするのに飽き
スーパーで買い物。
合計8ユーロ1セントなので、10ユーロ紙幣をレジのお姉さんに出して、小銭入れの中に1セント硬貨があるかどうかちょいと探した。彼女に要求されていたわけではない。
見つからないので「ありません」と言ったら、彼女は用意していた2ユーロ硬貨を渡して何も言わなかった。

そのスーパーは1セントの損失を出し訳だ。
日本のスーパーではありえないだろう。きちんと一円の間違いもなく客とのお金のやり取りをするのが普通だろう。
(生活した感覚では1セントは1円)

小銭に対するこの緩い感覚は、数年前までとても嫌な印象だったが、今となってはあまり細かいところまでつっこまない大らかな態度が気に入るようになってきた。
こちらのレストランなどでは給仕する人たちにチップを渡す習慣があるが、それは小銭にあまり執着しないここの人たちのおおらかさによって成り立っているのだとも言える。(リす論)
対面式のパン屋でも、1,2、5セントのつり銭を受取らず、販売員にチップとして渡す人々がいる。
わずか1,2、5セントでも一日に数十人からもらうとかなりの額になるらしい。

街中の商店街に設置された新しいベンチ。
いかにも布教活動をしています、という二人組みのおばさまたちのそばに座るのは面倒に思ったけれど、疲れていたので仕方がないと諦めて座った。
案の定、私に話しかけてきた。彼女らの大切なものを否定する気は全然ない。私がその話を聞くか聞かないかは私が選択できるんだ!丁重にお断りした。(写真を観察すると向こうのベンチは空いている。数分で状況が変わったのだろう)
 
何か、太ももの辺りが部分的に冷たいな、とぎょっとして立ち上がると、小銭が現れた。

おばさまたちの座っている位置との関係を観察すると、彼女らのものではない様子だった。
では、ちょいと前から、もしかしたら数時間前からここに残っているのかもしれない。
忘れたのではなく「財布に入れるのが面倒だから、誰かのために置いておこう」とも感じられた。

西洋の寄付活動は「小銭面倒」という意識もあるのではないか、とちょいとりす論を発展させてみた。

以前の小銭関連記事を読むと面白い。「自動販売機に注意」(2014年3月1日記事)


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