怠慢主婦 ドイツで同居 

日本食を食べなくなり義両親のしもべと化し、すでに何年になるだろう。遠い目しながら今日も行き抜いてやるぞっ

はだかになりたがっている我々。

2017年09月05日 | カテゴリー分けするのに飽き
たばこ包装の病気啓発広告に男性ヌードが使われていた記事を書いた。
その写真はほとんど芸術的とも思えたものだ。
以下のはウケ狙いと思われる。

上は演劇の宣伝だったか。
下はギターのコンサートのようだ。

最近、女性のヌードより、男性のもののほうが多く目にする。
ん?私の目がそちらに行っているだけかな?

全裸に寛容なのは白人社会に思える。
川原やプールでは全裸可能(あるいは義務)地域や日を設けるなど、日本をはじめとする東洋では難しい物事が発達している。
しかしながら日本は全裸にならなくてはならない公衆浴場が何百年も前からあり、いまだに姿を変えながらも人気なのだから、日本もまったく遅れ(!?)を取っているわけではなく、むしろそうした公衆風呂状況を考えると、数倍も先を行っているわけだ。

要するに、みんな裸になりたがっているのだ。
ちょいとチャンスを見つけて裸になって、普段布で包まれている部分の皮膚を開放する。
本能的に、何かのために必要なのだろう。

外出時にはしっかり頭巾をし、腕も脚も布で覆ってしまうアフガニスタン人知人の一人S子さん。
夏の暑い時期に彼女の家を訪問してたまげた。
胸元の大きく開いたブラウス姿だった。太ってはいないのに豊満な胸元がゆらゆらして、ちょいと眼のやり場に困った。
「アフガニスタンの家は高い壁で覆われていたので、庭では薄着になって風に吹かれるのを楽しんだものです」
と言っていた。
凄い格好だっただったのだろうなー、と想像。
普段、頭巾やら何やらで隠しているから、その違いに魅惑されてしまう。
おそるべし、イスラム教徒、こういう効果を狙っているのか?
(もっとも、家の中でもしっかり頭巾をしている女性も多いので個人差あり)

そういうわけで、全身で皮膚呼吸をしたがっている、とドイツの男性全裸写真の氾濫で思うこの頃。












1 コメント

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Unknown (suzu)
2017-09-05 05:45:21
私自身は、小さいときから、裸の人間を見るとうろたえてしまいます。男女とも、はずかしいです。というか、目のやり場に困るというか。自分が裸になって、温泉に入るのも、わりと勇気がいるのです。慣れの問題でしょうか。どうして、人間は動物のように、美しい毛皮がないのでしょう。少しずつ、退化してしまったのでしょうか。裸になりたがる人の気持ちもわからない。何か、重要なメッセージなのかしら。

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