見ているようで観えていない | ネットの中の《峠の茶屋》

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「自分の人生は自分でしか歩めない」
日々歩んでいく中でハァ〜ハァ〜したら、ちょっとお茶を一服。手を貸したり、お話し聞いたり、お茶差し出したり。日々のお話し、皆の四方山話、コネタ、色々繰り広げてます

唐突ですが
パンダを見たことはありますか?

あの可愛らしい動きをする
動物のパンダです。



見たことのない人はいないと思いますが
ではパンダのしっぽは
黒か白かわかりますか?




ある人からの質問で
自分の普段つけている腕時計
(なければよく身につけているもの)を
それをみないで絵に描かけますか?
といったのがありました。

私は、、、描けませんでした。

自分が普段身につけているものは
良く知っているはずなのに
かけません。



現代人は多くの情報にさらされていて
一瞬でたくさんのものを判断しなければ
ならない状況です。

そのため知っているよと思ってても
見ているようで観ていないことだらけ
なのですね。


ただ見て知っているだけよりも
意識をして観ること癖づけていると
その素晴らしさや深みを感じ
感動だって出来るかもしれません。



今年生誕300年を迎えた伊藤若冲は
その観るをとことん突き詰めた人。

若冲ファンは多く、
その生き様もよく知られたところなのですが
ちょっとだけ触れます。
若冲は裕福な商家の長男でした。
ところが家業は人に任せ、絵に没頭します。

女・酒・博打も一切やらず
とにかく絵にかけた情熱はすごかった。

絵を学び始めたころは、
名画を所有する寺院を訪れては模写を重ね
千枚ともいわれる模写を続けたます。
そして絵だけでは学べないと悟り、
目の前にある実物をかくことで、
その生物の内側にある神気を表現しようと
しました。

そのために1年間は筆を執らず
朝から晩までただひたすらに鶏を観察
していたのだそうです。
そうやって神気をつかんだ若冲は
今度は2年間、ひたすらに鶏だけを写生
し続けたんですね。

そのおかげかいつしか鶏だけではなく
草木や様々な生物を自在に描けるように
なったといいます。



若冲とまではいかなくても
自分の大切な人たちや
自分の仕事のあらゆること
自分のお客様たち
自然や自分が興味を持ったものに
意識をして観ていると
次第に観る癖がついてくる
ようになります。

そうすると若冲ではないですが
その本質をつかみやすくなってきます。



デッサンを再開して観ているようで
観ていなかったものにあうことが増えました。
普段から観るようにしていたのに
デッサンとなるともっと細かい部分に
目が行きます。

ほんと観てないんだなぁと
日々感じてます。


一生観ることの修行かもしれません。

でも、この過程で
とてもたくさんの発見や
多くの感動に出会えるはずです。





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