気づきを照らす | 悟りの世界に遊ぶだけ~♪(*^o^)乂( ̄ー ̄*)

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悟りを特別なものとして崇め、仰々しく語る時代は終わりました、、(^^)/~~~
悟りをより身近に、ごくごく当たり前の自然なものとして生きる時代へ共に参りましょう!(*^^)v

 

さて、日常的に、 「気づき」 に意識を向けるという時間をとることで、

 

 

徐々に、気づいているという体感が育って来るというのはあり得ます、、

 

 

 

が、勘違いしてはいけないのは、

 

 

 

それは、思考が起きなくなるということではありません、、

 

 

思考は起きます、起き続けます、、

 

 

 

時には、自分の意志に反して、思ってもみない脅迫的な思考や、

 

 

 

過去や未来、妄想や雑念といったものがどこからともなく現われ、

 

 

そのエネルギーの強大さに、飲みこまれてしまいそうになるということも起きるかも知れません、、

 

 

 

そこで大切なのは、、そうした圧倒的な思考の動きに抵抗するのではなく、

 

 

 

それを見つめている、ただ、気づいているという基本に徹するということです、、

 

 

 

そうした思考の背後には、自我性の恐れ、防衛反応が控えているため、

 

 

 

より説得力を持って錯覚の中に私たちを誘い込み、

 

 

さらなる思考でそれを解決させようと焚き付けて来たりもするものです、、

 

 

 

それを取り除かなければ大変なことになってしまう、

 

 

 

それを取り除かない限り私は安心できない、、

 

 

一体どうすればそれを取り除くことができるのだろう、、と、、

 

 

 

私たちにできるのは、思考を取り除くことでも、自我の恐れを消し去ることでもありません、、

 

 

 

そうした動きに抵抗しようとすればするほど、

 

 

ますますそれらはエネルギーを増してしまうこともあるでしょう、、

 

 

 

これは、悪天候に対して戦いを挑むようなもので、

 

 

 

雨は上がるまで降り続け、風は止むまで吹き続ける、ということをしっかりと知る必要があります、、

 

 

 

ですから、雨に対して上がって欲しいと懇願するのではなく、、

 

 

 

あるいは、無用な策を講じようとするのでもなく、

 

 

ただ、その様子を見ていれば良いのです、、

 

 

不快感は自我性を掻き立て、すぐさま抵抗へと引きずり込もうと反応しますが、、

 

 

そうした一連の様子にも、気づいてみるのです、、

 

 

 

思考を消そうとするのではなく、何らかの策を講じようとする動きが認められた時にも、、

 

 

 

恐れに巻き込まれてる自分にすらも、ただただ、気づいてみましょう、、

 

 





逆説的ですが、、そうした 「気づき」 で以て照らし観るということに 「留まる」 とき、、

 

 

重々しい曇り空に閃光が走るのを目の当たりにすることもあるかも知れませんし、、

 


単純に、思考が見せる幻影が、幻影に過ぎないということがさらされ、

 

そそくさと消散の一途を辿るという様を見ることもあるかも知れません、、(^-^)ノ~~

 

 

 


※今日も読んで下さり、ありがとうございます!(#⌒∇⌒#)ゞ


 

 

 


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