私たちは、解決しなければならない (ように見える) 「問題」 などが目の前に現れたりすると、、
何をすべきか、、何をしなければならないか、、
という問いを往々にして開始するものです、、('-'*)(,_,*)('-'*)(,_,*)
もちろん、実用上そうした問いが必要になる場合もあるかもしれませんが、、
けれども、仮にそうしたことが 「必要に見える」 場合であっても、、
悟りの観点から言えば、、これらの問いは、、
奔走と迷妄へと私たちを招き入れる 「思考による誘い」 でしかないものと言っても構わないでしょう、、
というのも、これらの誘いに乗ってしまった瞬間、、
私たちは、、いともたやすく今ここを外してしまうからです、、
「問い」 と共にランニングマシーンのスイッチは押され、
様々なイマジネーションをエサに思考はますます活発に、
「空想上の未来」 へと 「解決」 を 「求めて」 走り始めます、、
すなわち、、「どこか」 へ辿り着かなければならない 「個人の感覚」 が強まり、
エネルギー的には非常に重々しく、流れが滞っているように感じられる体感が付きまとうというわけです、、
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さて、そうした奔走と迷妄のスパイラルにはまらないための基本姿勢としては、、
何をすべきか、、何をしなければならないのか、、といった今にはないもの 「求める」 よりも、、
今にあるものと一緒にいること、、
即ち、、今、何をしているか?という問いに切り替えることです、、('-'*)(,_,*)('-'*)(,_,*)
この問いは、、その性質上、、今ある通りのリアリティに立ち戻らせ、
それに気づいている視点・体感へと自然に移行を開始してくれます、、
この時、思考の奔走と今ここ外しの誘いは断ち切られ、、
開かれたくつろぎが私たちの味方になってくれます、、ヽ(*・ω・)人( ̄ー ̄*)ノ
エネルギー的にはその軽さ故、、流れに乗りやすくなるとも言えますし、、
時に私がこれを、、他力の風、、と呼ぶのはそのためです、、
つまり、、今に深まれば深まるほど、、逆説的なことに、、
より的を射た解決策が湧き起こって来たり、、あるいは、、解決しようとせずとも、
自然な流れが 「問題」 と見えていたものを徐々に、、時として、あっとう言う間に、
跡形もなく溶かしてしまうといったことをもたらしてくれさえしたりもするのです、、
そして、ここでの最大のポイントは、、
ここでも、そうした何らかの 「期待」 や 「結果」 を求めないことです、、
「求める」 というベースのままでは、上記と同様のスパイラルが再び私たちを誘い込みます、、
※今日も読んで下さり、ありがとうございます!(#⌒∇⌒#)ゞ