あらゆる経験に共通しているもの | 悟りの世界に遊ぶだけ~♪(*^o^)乂( ̄ー ̄*)

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悟りを特別なものとして崇め、仰々しく語る時代は終わりました、、(^^)/~~~
悟りをより身近に、ごくごく当たり前の自然なものとして生きる時代へ共に参りましょう!(*^^)v

 

 

会津にいるときも、、東京にいるときも、、はるか遠く海外にいるときも、、

 

はたまた、どこぞの聖地にいるときも、、

 

 

さらには、嬉しいときも、悲しいときも、苦しいときも、怒っているときも、、

 

誰といるときも、何をしているときも、、

 

 

良い気分のときも、悪い気分のときも、、

 

 

すべての経験に共通しているものがあります、、

 

そして、それを私たちは知っています、、

 

 

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あらゆる経験が外側にしろ、内側にしろ、、それが起きているとき、、

 

それを見ているという感覚、、それに気づいているという視点 (意識) は、、

 

 

どんなときも揺らぐことなく常にあるのです、、

 

 

これを不動と言い、在ると言い、、今ここなどとも言われるものですが、、

 

これの発見、、ずっとこれで在ったということの発見をいわゆる 「目覚め」 と言うわけです、、

 

 

 

私たちは、そのいつもここにある不動の方ではなく、

 

絶えず流動する 「変化」 の方にばかり魅了されているがため、

 

見落とすことなどできるはずもない 「観照」 の部分を見落としてしまっているのです、、

 

 

これがいわゆる、般若心経で言うところの、、

 

不生不滅 不垢不浄 不増不減の住まうところであり、私たちの本性です、、

 

 

 

 

 

 

鏡に映っているのは自分ではない。

 

映っているのを見ているのが自分なのだ。(ニサルガダッタ・マハラジ)

 

 

 

※今日も読んで下さり、ありがとうございます!(#⌒∇⌒#)ゞ