会津にいるときも、、東京にいるときも、、はるか遠く海外にいるときも、、
はたまた、どこぞの聖地にいるときも、、
さらには、嬉しいときも、悲しいときも、苦しいときも、怒っているときも、、
誰といるときも、何をしているときも、、
良い気分のときも、悪い気分のときも、、
すべての経験に共通しているものがあります、、
そして、それを私たちは知っています、、
-----------------------------------------------------------------------------------
あらゆる経験が外側にしろ、内側にしろ、、それが起きているとき、、
それを見ているという感覚、、それに気づいているという視点 (意識) は、、
どんなときも揺らぐことなく常にあるのです、、
これを不動と言い、在ると言い、、今ここなどとも言われるものですが、、
これの発見、、ずっとこれで在ったということの発見をいわゆる 「目覚め」 と言うわけです、、
私たちは、そのいつもここにある不動の方ではなく、
絶えず流動する 「変化」 の方にばかり魅了されているがため、
見落とすことなどできるはずもない 「観照」 の部分を見落としてしまっているのです、、
これがいわゆる、般若心経で言うところの、、
不生不滅 不垢不浄 不増不減の住まうところであり、私たちの本性です、、
鏡に映っているのは自分ではない。
映っているのを見ているのが自分なのだ。(ニサルガダッタ・マハラジ)
※今日も読んで下さり、ありがとうございます!(#⌒∇⌒#)ゞ