人生には、様々な天候の日があります、、
晴れた日、雨の日、雪の日、風の強い日、、
一般的な天候に留まらず、
日常の中で出くわす様々な出来事に対しても同様のことが言えるでしょうし、、
それに伴って反応する内面の 「天候」 もまた然りです、、
そうした様々な天候に際して、、
自我の防衛から来る、「個人の都合」 に根差した反射作用に無自覚でいると、、
気分を良くしてくれる晴れの日は、「良い日」 、、
気をめいらせる雨の日や悪天候の日は、、「悪い日」 といった、
すぐさま思考の限定化に陥ってしまいます、、
思考がどのように、それを経験している 「私」 という、
ストーリー上の存在を実体化させるかといった点に意識的に在るといった、
気づきながらの取り組みも、そうした思考や自我が人生を自分の都合通りに進めようとする、
コントロール性といったものの土台を少しずつ崩していくといった効果は発揮されていくでしょうが、、
それよりもまず大切になって来るのは、、
どんな天候の日にも、丁寧に出会っていく、、逃げることなくそれと共に在る、、といった、
いわば、禅的、一期一会、、日々是好日、、といったスタンスです、、
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晴れの日が、雨の日よりも優れているとか、真理に適っているということはありません、、
晴れの日ばかりが、「真実」 に見えると勘違いしてしまうのは、、
先にも述べた通り、
自我の 「恐れ」、あるいは、「都合」 という個人的な観点から見たときだけです、、
悟りは、、晴れの日を楽しみくつろぎながらも、、
雨の日に対しても、静かに見守りそれと共にあり、気づき自体の受容性で出会います、、
こうした静と動の体感が共に馴染んでくると、、
雨の日の中で、あるいは、嵐の中でさえも、、くつろぎと自由を見出し始めるのです、、
まさに、禅の実践は、、これの体得とも言って良いでしょう、、
禅は、決して 「今」 から逃げません、、
「今」 に出会うこと、出来事に全面的に取り組むこと、、
その場の中に行為と共に溶け去ります、、─=≡Σ((( つ•̀ω•́)つ
これについては、以前はよく、、
今 (真実) と手をつなぐ生き方などとポイントしたものでした、、ヽ(*・ω・)人( ̄ー ̄*)ノ
今に出会い続け、今を友とし衣とする、、それが禅です、、(●‘∀‘●)ノ"
※今日も読んで下さり、ありがとうございます!(#⌒∇⌒#)ゞ