「答え」 を 「どこか」 で探す度、、
今居る 「この場所」 を見落としてしまいます、、
「どこか」 に 「ゴール」 があると信じてしまえば、、
初めから 「ゴール」 にいるということを信じられなくなります、、
「探す」 ということ自体が、、
今にはまだそれがないという観念を強化してしまいます、、
超越的な何かを求めれば求めるほど、、
すでにあるこのリアリティから離れてしまいます、、
崇高な何かを知ることができるはずだと思うほど、、
知る必要があるものなど何もないというシンプルさが見えなくなります、、
目覚めとは要するにただここにいることだ。 (ジョン・バーニー)
解放を探せば、解放を見落としてしまいます。
探しながら、自分は解放とは別のもので、目の前のこれは解放ではなく、
「それ」 はどこか 「外側」 で見つけ出せる何かなのだと、私たちは想像します。
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解放とは、解放をどこか別の場所で探すのが終わること、
あるいは解放というものは、たった今の目の前のこことは必ずどこかは違って見えるはずだ
という思い込みが終わることだと言っても、たぶん構わないでしょう。
究極の解放とは、解放という観念がすべて落ちてしまうことなのです!
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解放とは、<答え> を手にしているという意味ではありません。
解放とは、宇宙の仕組みをすべて解明したということではなく、
すべてを解き明かしたいという貪欲な欠乏感がなくなるこです。 (ジョーン・トリフソン)
あなたが何をしていても、どこにいても、、どんな気分でいるときでも、、
あなたが 「答え」 でなかったことは一度もありません、、
悟りや覚醒、解放といったものは、、決して 「すごい」 ものではなく、
一部の覚者だけの特権であるわけでもありません、、
たった今、、ここにいるあなたがまさにそれなのです、、
もうちょっとだけガイド的に言うならば、、
どんなものでも、今在るものを完全に受け入れたとき、、あるいは、そのままにしておくとき、、
今いるこの場所で扉は開きます、、
※今日も読んで下さり、ありがとうございます!(#⌒∇⌒#)ゞ