というわけで、悟り系的、変えたい相手がいるときの話、、
日常の中でこうした場面に出くわすと、
体感的にはどうしても気持ちの良い感じはしないものです、、Oo。。( ̄¬ ̄*)
こうしたとき、何が起きているかというわけですが、、
「変えようとしている」 ということは、
それがそうであってはいけないという現状への 「否定」 が背景に頑としてありながら、
「対象」 をコントロールしようという動き (抵抗) が起きているということになります、、
これにより、「変えようとしている自分」 と、「思い通りにならない相手」 という、
二元的なエネルギーが急加速度的に強まるがため、
見かけ上での、「個体」 間のエネルギーの交流が滞り、
なおさらに、思うようにならないという側面が維持 (固定化) されるといった傾向にはまりかねない、
といったところです、、Oo。。( ̄¬ ̄*)
こうした一連の流れを、非受容性などと言っても良いですが、、
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こうした内面的葛藤に気づけたとき、、悟りのレッスンが開始されます、、
つまり、、変えたい相手がいる時、、もっと言えば、「変えようとする自分」 に気づいたとき、、(ΦωΦ)
そうした時は敢えて、、変えようとはしないということです、、
これ即ち、エネルギー的には、コントロール (抵抗) の放棄であり、
ある意味では、「自分」 を手放すということが起きていると言っても良いでしょう、、
そして、この段階において、、受容性の門が開かれています、、。:.゚ヽ(´∀`。)ノ゚.:。+゚
つまりは、この開かれた在り様の中にエネルギーが流れ込み、
一方では、「滞り」 を流してくれる可能性が生まれ、
思いもよらぬ 「奇跡」 が降り注ぐ場面に出くわすこともあるかもしれません、、
というわけで、これがここ数日書いておりました、、
「変えようとする自分」 と 「変えたい相手」 との差を取ること、と言ったところでしょうか、、
差取りとは、即ち、、受容の在り様そのものであると言っても良いかもしれません、、(▰˘◡˘▰)
※今日も読んで下さり、ありがとうございます!(#⌒∇⌒#)