というわけで、、昨日の記事、、
コントロールをしようとしている様相に気づき、、そうした抵抗を手放す、、
コントロールしようとするのではなく、、
今あるとおりのこの出来事を受け入れる、、といった受容性を発揮する上で、、
これ以上にない衣であるところの、「禅」 に出会えたことは、私にとってとても幸運なことでした、、
というのも、、禅は、、個人の都合 (抵抗) が浮かび上がってきたときも、、
それに流されることなく、意識的に手放し、、
ただする!サッとする!シンプルに取り組む!ひたすらに出会う!
ということを修行のベースとして位置付けているからであって、、
つまるところが禅は、、自分を手放す道であり、、
そうした体感に深まるところが、、
自我 (恐れ、都合) を落とす上で、この上ないレッスンとなるのは言うまでもなく、、
ひいては、、受容の門を開けるカギを友とすることができる、、などとも言えるからです、、
そう言えば、、懐かしのOSHOおじさんは、、
禅に対して、、マインドに対する唯一の反逆だ、、的なことを言っていたのを思い出しますが、、
個人的には、、どちらかというと、、
禅は、、受容性を発揮する衣である、、てな側面を強調したいと思うのであります、、
※今日も読んで下さり、ありがとうございます!(#⌒∇⌒#)ゞ