というわけで、「悩み」 というのは、
何かしらの、悩むに値する 「実体」 があるから生じているわけではなく、、
「悩みがそこにある」 と信じてしまう思考感覚のエネルギー的な様相によって、、
つまるところが、思考の二元的な動き、
それがあってはいけないとか、それを何とかしなければならない、、といったところの、
出来事に対する抵抗 (や否定、批判) の動きに無自覚でいることによって、
さもそこに、「悩み」 という実体が頑として存在しているよう見える錯覚にハマってしまう、、
というような、いわば、構造の話をしたわけですが、、('-'*)(,_,*)('-'*)(,_,*)
-------------------------------------------------------------------------------------
こうした動きに 「気づく」 というのが、まずは、そうしたループから抜け出す、
あるいは、そうした思考の収縮した感覚を解放する上で、、一番のベースとなるポイントです、、
気づき (アウェアネス) 自体の作用によって、
思考の習慣的で、パターン化したダンスは明るみに晒され、
「回転 (今ここ外し) 」 は徐々に鎮まりを見せてきます、、
そうして、思考 (による閉じ込め) の世界が脇にどくことで、、
エネルギーの転換の可能性が開けてきます、、 (もっと正確には、初めからあった姿に戻る)
こうして、開かれた空間と共にくつろぎ (受容) を見出し始めると、
出来事に余計なストーリーや観念、重荷を当てはめることなく出会う、シンプルに向き合う
ということが少しずつできるようになり、
時には、、「悩み」 や 「問題」 に対する思いもよらぬやり方、
あるいは、それら自体の不思議な変化を目の当たりにすることもあるかもしれません、、
というわけで、せっかくなので、、思考は、迷い、収縮、抵抗、、である一方、、
気づきは、、目覚め、解放、受容であり、、それら自体であるというわけです、、
※ちなみに、先の土日は、、両方でイマモンに会うことができたってミラクルでした、、(●‘∀‘●)ノ"
今日も読んで下さり、ありがとうございます!(#⌒∇⌒#)ゞ