求道のゴールは、
自己を高め、今にないものを探しに出かけて行き、
崇高な何かを知る、あるいは、そうしたものが手に入るに違いない、、といった 「誤解」 が終わり、、
本来明らかなもの、初めから在ったシンプルなものが、
何があっても欠けることはなく、そこから離れることは決してないという信頼にくつろぐことである、
と言っても良いかもしれませんが、、
それでも、身心の天候や相対的な状況の中で、
いともたやすくその 「明らかさ」 が覆い隠されてしまいかねない日々は充分にあり得ます、、
そこで、それを起こしているものの正体に気づき、
そうした、今ここ外しのエネルギーを意識的に感じながら、、それを手放す力と共に、
今に在ることのシンプルさに何度も戻りながら、「目覚め」 を選択するというのが、
いわゆる、便宜上、悟後 (ごご) の修行などとも言われるものかもしれません、、
私たちのゴールもスタートも今ここであり、今ここからです、、
ま、禅においては、悟前も悟後もまったく変わらない、即今目前のアプローチを外さない、というのが清々しいところだとも言えます、、
※今日も読んで下さり、ありがとうございます!(#⌒∇⌒#)ゞ