さて、、悟りのキーワードでもある、「今ここ」 、、
こうしたジャンルの探求を始めると、、
なかなか今ここいられません、、
どうしたら今ここに居られますか?
今ここを生きる方法はあるのでしょうか?
などという、疑問や葛藤を持つ場合が程度の差こそあれそれなりにある話です、、
単刀直入に言うと、、大前提として、、
私たちが、「今ここ」 以外に居ることはどうしたって不可能であって、
然るに、今ここを生きていない瞬間は一瞬たりともない、、わけなのですが、、
にもかかわらず、先の問いや、そう感じてしまう状態が実際ある以上、、
その背景に何があるかを見極める必要があるとは言えるでしょう、、
まずは、、「今ここ」 の対極である、空想上の 「今ここではないどこか」 に魅了されているため、
「今ここを生きられていない」 ような気がしてしまう、、というのが筆頭かと思いつつ、、
さらには、、無意識的に、、自分は今、「今ここ」 なのだろうか、、
「今ここ」 にちゃんと居ることができているのだろうか、、などといった具合に、、(゚Д゚≡゚Д゚)
「今ここ」 について考えてしまっているから、、などということもできるでしょう、、
要するに、これらどちらの場合も、、思考の作用に他ならないわけですが、、
こうした思考を意志の力で止めよう、、そうした思考が起きないようにしよう、、というのは、、
アプローチとしては、あまり効果がありません、、
というのも思考は、その時の身心の状態、環境、出来事、あるいは因果律では捉えらない、いわば、無数の要因によって、
その都度、意図することなく起きることが宇宙的に自然なことであって、それをコントロールしようとするのは、
ある意味で、、宇宙に逆行する動きであると言えるでしょう、、
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そうではなく、、意識が、「どこか」 に魅了されて、「今ここ」 から連れ出されようとしている様子に、まず気づき、、
今が 「今ここ」 なのかどうかなどという具合に、、「今ここ」 について考え、「今ここ」 との距離を生み出す代わりに、、
今ここで起きている現象、目の前にある出来事にシンプルに取り組む、、
そこから何かが得られるかもしれないとか、それによって何か崇高なことを知ることができるかもしれない、、などといった自我の所有性や期待も手放しつつ、、
ただひたすらに今ここに 「取り組む」 ことに帰依するとき、、─=≡Σ((( つ•̀ω•́)つ
「今ここ」 について 「考える」 という、私たちの、ある意味で習慣的な思考感覚は静まりを見せるとも言え、、
「思考」 ではなく、「取り組み」 から始まる生のダンスの中に、私たちは自然と溶解 (統合) し始めていきます、、
※こうなることを 「目的」 としてしまうと、また新たな 「どこか」 を生み出してしまうので注意が必要です、、
というわけで、時に、「今ここ」 とは、私たちの正体そのものだったということを発見することもあるかもしれません、、
※今日も読んで下さり、ありがとうございます!(#⌒∇⌒#)ゞ