なんと、私が不在のときに、、
珍しくも我が家に、宗教の勧誘の方がいらしたそうです、、
母親が対応したとのことで、、
幸せになるためにこの本を読んで下さい!との話だったそうです、、
って、今幸せなので―!と言って帰ってもらった母親もなかなかですが、、笑
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というわけで、久々に幸せの不思議について、、
まぁ、シンプルに、、幸せに 「なる」、あるいは、「なりたい」 というとき、、
私たちは、「今は幸せではない」 という観念を無意識的に信じ込んでいるということには割と無自覚だったりします、、
ですから、「今」 ではない 「いつか」 に実現されるであろう、「幸せ」 のために、
「何か」 が必要になり、今居る場所、あるいは、今の自分から離れて、、
「どこか」 へ向かって努力し、頑張らなければならない必要がエネルギーレベルで高まってしまうきらいがあると言えるでしょう、、
ですから、提案として、「幸せになる」 ということを放棄すること、、
あるいは、そもそも、、これが 「幸せ」 だという枠をこしらえないことの方が望ましいと言えたりするかもしれません、、
ある面、、私たちの 「幸せ」 を邪魔しているのは、、
まさに、「幸せ」 という観念、概念、物差しであって、、「幸せ」 自体であるとも言えるです、、
というわけで、「どこか」 にある 「幸せ」 に向かおうとはしないこと、、
先日の連休へ逃げ込まない!って話と同じで、、
実際、きらびやかで理想が叶っているように 「思える」 まやかしの 「幸せ」 にとらわれてしまえばしまうほど、、
自然と、今ここの目の前にある出来事に対してどこか満たされない感じがしたり、、
理想に執着するあまり、、そうは見えない状況に味気なさを感じたり、時には、否定してしまったりといったことも反動で高まってしまいます、、
これが、「幸せ」 を作らない 「幸せ」、、「幸せ」 にならない 「幸せ」、、
あるいは、敢えて 「幸せ」 などという言葉に頼らずとも、、ただ今ここに在ることの自然さということになるでしょう、、
※今日も読んで下さり、ありがとうございます!(#⌒∇⌒#)ゞ