人生において、、「自分」 にとって、「快」 を感じたり、「都合」 の良い方を選んだりすることは必要に応じて起こることは否定はしませんが、、
例えば、、面倒な出来事や、できれば避けたいと思う 「不都合」 な場面に遭遇した際など、、
「不快」 を覆い隠す代わりに、「快」 の方に逃げない、、「快」 の陰に隠れないといったことに意識的になることが求道においては何よりの好機となるとも言えるかもしれません、、
実のところ、「不快」 に感じたり、「負」 だと思い込んでしまう感覚の背景には、、
「恐れ」 の感覚があるといって良いでしょうし、、
エネルギー的な側面において、この 「恐れ」 が肥大化した様相に伴って、「個人」 の感覚が実体性を増すということも実際言える話で、、
ここにおいて、ある意味、「流れ」 であるはずの全体性が、、見かけの上で 「滞り」 の様相を呈しているとも言えたりするものです、、
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というわけで、宇宙そのものである 「今ここ」 と繋がる方法は、、
「個人の都合」 や 「恐れ」 の感覚が沸き起こって来た時に、それを意識的に見守り、
無自覚にそうしたエネルギーにとらわれてしまう様相を手放し、
目の前に現れている出来事と進んで 「出会う」 ことへと 「自ら」 を明け渡すことであると言えるでしょう、、
この時、、意識しているかいないかにかかわらず、、全体性という自然の一部として、、
「流れ」 そのものの中に、収縮した 「個人性」 は吸収され次第に調和されていきます、、
※今日も読んで下さり、ありがとうございます!(#⌒∇⌒#)ゞ