カテゴリ:夢有無有
「思考と直覚」人間の霊魂を思考/フォイエルバッハ3(四百九十)
フォイエルバッハを何故にマルクスとエンゲルスは継承の事実は認められるにもかかわらず軽視するのか、其処に読み取れるのはマルクス主義が史的唯物観の最終章だとの自負心が顕著だということです。マルクス&エンゲルス主義とは体制の壊滅を願うあまり、本筋の弁証法は忘却し、真相を自らに強引に引き寄せています。其処にはもはや、個人的尊厳としての理性は蔑ろにされ、自ら主張する体制主義が強調されています。人間個々の救済に導く思考は微塵もありません。国家体制・或い社会体制さえ整えられれば涌泉の如く幸いが来るとの思考を用います。此処に、フォイエルバッハを何故に復活させるのかの根拠があります。フォイエルバッハは人間を生態系のなかでの単なる意識生物とせず、「自己意識」を「自我」先読みすれば主体としての実体は自己疎外と自己回復の螺旋的進行過程の軌跡ともいうべきものだと見取り,マルクスは現実界を超越的イデーの自己疎外的実現とみる観念論を退けることによって,弁証法的な過程的構造は現実界そのものの過程的・構造的な一般的法則性にほかならないものとみることを反省させる思考の担い手だということから再評価に価します。 cap-hiroのプロフィール 哲学・思想 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年07月26日 06時50分34秒
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