カテゴリ:夢有無有
{思考と直覚」人間の霊魂を思考/神秘主義4
神秘主義を神秘観相と神秘哲学に大きく別けた、其の一方の側である神秘観相とは、先行した思考や思想を持ち合わせず、境遇・環境世界によって多少の意味合いが異なって表面化しますが、自己の深層に眠る精神が意識の表層に駆け上り、何者かの意識が自己意識に目覚めさしたものである可能性が高いものです。此の体験は当の本人が認識しないまでも屡々というよりも十中八九、高圧的であり、抗えないところがあり、体験者の殆どが教祖や心霊者となっています。此の「抗えない力を持つ存在」が、体験者の其れまでの理性や性格をも改変し、度々の事件で世を騒がせています。ナザレのイエスが旧教の神の通詞(翻訳を司る者)である預言者(注:世界の未来を予言する予言者とは意味合いが異なります。)が神憑りと異なるのは、聖書の来歴を信じる限りは、神がナザレのイエスを選択したのではなく、神の異相として出現したことにあります。体験から入る神秘観とは、抑々(そもそも)の次元で相異なるものであり、信教上でも「初めに神ありき」では無く、存在が自己に降りたとの違いは顕著であり、事実が其のように語っても信教に頼るしか人々を納得させ得られないことに難点を抱えています。とはいえ、キリスト教も信教に頼るのは同様とはいえ、神学哲学が其れを補強しています。旧教のモーセの十戒は神秘哲学ではなく神秘観(念)を具現しています。 cap-hiroのプロフィール 哲学・思想 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年04月27日 13時57分19秒
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