カテゴリ:夢有無有
{思考と直覚」人間の霊魂を思考/神秘主義13
「神秘」とは通常の人間を以ってしては、言葉に言い表すのには甚(はなは)だ困難な物事であり、一般的な社会に住する人間には出処が曖昧で意味不明、若しくは、まして、其の論を語る者に至っては幻想・幻覚の類(たぐい)としか憶えません。然し乍ら、取り分け、ニーチェは仏説にも触れたせいなのか、自己の精神が直接に人間の内に潜む「何もの」かの無限の大きさと力とをもつ確固たるものに触れたとみえ、それによって従来の小さな自己の殻は融(と)け去り、「脱我」即ち人間を超えた絶対者との合一、通常の自己からは絶対的で他なるものとの合一を非難し回避しています。必然的に自己からの脱却、自己という枠の突破を通してのみ現成する神や絶対者との合一は同時に依存であると同時に脱自であると非難します。ニーチェは勿論、神秘家が体験的に説く、所謂エクスタシー(脱我,忘我)を知ってはいましたが、人間の「生」を信じ覆いかぶさる権威としての思想を排除するために人間実存を唱え、神を死と態に追い込む発言をしています。「神は死んだ」のではなく人間が神を必要としない思考を持ち込んだのです。ニーチェは、より高く且つより深い生命の境地を神に求めずして人間の潜在精神に期待を込めます。 cap-hiroのプロフィール 哲学・思想 ブログランキングへ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年05月05日 06時43分20秒
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