「思考と直覚」人間の霊魂を思考/スピノザ112
哲学にあっては、殊(ことさら)に、仮想世界は神話的であり、ギリシアの詩人ホメロスの「イーリアス」ならびに「オデュッセイア」は神を仮想現実に取り込む程のギリシァ、都市国家アテネ市民のみならず、ギリシァ全土に浸透し、ギリシァでは吟遊詩人どころか、彼の詩は、神話化しホメロスには神の冠が授けられています。おそらくは私的に類推するに、彼ホメロスは自己の心に創造の金剛石を秘めた迸る(ほとばしる)才能に恵まれた人物であり、旧約のモーセやエリヤ・エリシャ・エゼキエルのような預言者では無かった筈です。然し乍ら、一芸術家が神として崇められるのは、戦士である英雄である印度では毘沙門天のモデルになったアレクサンダー大王や中国三国志の英傑である関羽、思想家は孔子を始めとして多くを数えますが、一介の詩人が神になるというのは稀有な出来事です。ギリシァは此のギリシァの叙事詩を謳い上げた詩人の記述を神の世界とするのです。此のことがなければ、ソクラテスが毒人参を仰ぐことはなかったでしょう。私事ですが中学時代はギリシァ文明の思想を追求すればする程、どの様に思考を巡らしても、彼らは地球上に絶えた宇宙からの渡来民族として自分を納得させていました。紀元前の民族がいまだに思考の本筋にあることは、古代日本の倭国と比すれば理解できるでしょう。
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