「思考と直覚」時間と霊魂45
大森荘蔵は、人が過去を思い出すときには「過去の写し」を再現しているのだと考えがちなことに焦点を当てます。大森自身は人間認識として其のような「写しとしての過去」という理解は錯覚だと断定します。人間の過去の想起は写される対象としての正しい過去が存在した事実が在り、其のことを描写した劣化に変した写しとしての過去が記憶の中に存在するという。過去は「想起という様式」で振り返られる中にのみ存在すると思考しています。過去の記憶が正しかったかどうかを考えるとき、想起という様式から離れて記憶の正誤を判定する過去は存在しないし想起同士の比較が出来得るのみであるとも主張します。世界五分前仮説、哲学における懐疑主義的な思考実験のひとつで、アリストテレス以来最大の論理学者の1人として、其の業績は、従来の体系における時間パラドックスの発見、つまり世界は5分前に出来たのではない、引いては過去というものが存在すると示す事が不可能なため、「知識とはいったい何なのか」という根源的な問いへと繋がっていくとした第3代ラッセル伯爵。「5分以上前の記憶がある事は何の反証にもならない。なぜなら偽の記憶を植えつけられた状態で、5分前に世界が始まったのかもしれないからだ。」と主張するバートランド・アーサー・ウィリアム・ラッセル(Bertrand Arthur William Russel/1872年-1970年)、1950年にノーベル文学賞を受賞しているラッセルを大森は其の言を否定します。大森の世界存在には今現在のみが在り、過去の次元は現在にはなく人間の想起にのみ存在するとしたものであり、過去世界は今はなき世界と説きます。察すれば「時間」には過去のみならず未来時間もあり得ません。絶えず「瞬間」の現在が移動するのみです。此処には、霊魂の侵入や再来、絶対存在・意思・精神・意識は否定され、神存在其のものが否定されそうですが「時間」を絶対時間と、相対時間とに区分けすれば一応の矛盾からは逃れ得られます。
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