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Tough Boy-World of cap_hiro(Subtitle:sense of wonder)

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2017年12月20日
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カテゴリ:夢有無有
「思考と直覚」時間と霊魂56
 ギリシァの三哲が「造物主たる神」を超えた「絶対存在」を持ち出し、「神」を「創造者」から「造物手(主)としての匠」に貶(おとし)めたとしたともとれる思考に対して、聖者アウグスティヌスは、世界は何かしらのカオス(混沌)から造られたものではなく、神は「造物者ではなく絶対的存在としての意思と精神と意識をもって世界を全くの無から創造されたものであり、世界の秩序や形相、即ち、重力は勿論、光や時間、大宇宙のありとあらゆる物質と其の運動、人間生命を頂点とする生命体系、其の精神である神の様体の延長としての「霊魂」までをも「全くの無」から創り出したと反論します。此処で或る疑問が浮上します。仮にアウグスティヌスの主張を認めるにしても、世界は何故(なぜ)に其れ以前には創造されなかったのか。神が世界外存在だとすれば、時間は全くの「永遠」或いは「瞬間」であったのかどうか。そもそもが、世界なくして神の存在がありうるのかどうかの疑問です。時間に関しては、アウグスティヌスは時間というものは世界が創造されたときに創造されたのだと主張します。何故(なぜ)なら、神は内世界の時間を超越した存在であり、神にとっては永遠の現在があるばかりだからです。将又、神は世界や時間を創造する前から存在していたわけではない。そうだとすれば、神は時間の流れの中にいることになってしまう。そうではなく、神は時間の流れの外側に立っているのだとも説きます。時間は一般的に人間が観想するような客観的なものではない。確実に存在した過去とか、絶対に訪れるべき未来とかについて、我々人間は、それらがあたかも客観的な存在であるように考えているが、それは実は意識の錯覚に過ぎないのだと断定します。此のことから帰結されるのは、真に存在するものは過去でも未来でもなく、只々、今現在だけである。然し乍ら、過去や未来は人間の意識の中に確固とした存在性をもっている。過去や未来は人間の意識の中に確固とした存在性をもっている。過去はあったのであるし、未来はやってくるに違いないと観相しているが仮想だとします。大乗の祖「龍樹」の「中論」の19章「時の考察」の言通りの「先(過去)」とか「後(現在・未来)」は独立した別々の存在でもなく、また、同一存在の単なる別名でもない。それらは依存関係(縁起)をしめす。先後関係そのものの「時間」も、事象に依存している。だから、事象がなければ時間もない。時間が依存しているところの事象さえも、それ自体では成立しているのではなく他に依存している。このように、時間はさまざまなレベルによって成立していることをアウグスティヌスは八宗の祖と同様に「神」を以って説明します。
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最終更新日  2017年12月20日 06時36分15秒
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