「思考と直覚」時間と霊魂62
時間の進行には向きはないのであろうかとの疑問も当然に浮上します。時間が一つの方向に流れる意味合いは、記録が保存され、出来事が観察されることを可能にするということです。然るに、流れる方向が逆になると人間の精神上の時間の流れは観察どころか観相することさえすることはでき得ない。したがって、今現在に生きる人間には時間は二つの方向のどちらにも流れ得ることなど想像でき得ない。若しくは、物理科学理論の同時に両方へ流れている可能性もあるとする並行時間は理論を目にしても疑問のみが残ります。あらゆる観察者にとって、時間を経験するということは、時間が未来へ向かって流れている場合にのみ可能と思考するのは当然の成り行きです。但し、此の論法は我々人間が経験認識する時間は、或る一つの決まった方向にしか流れないが、現代物理学からすれば、時間をtとし「t」から「マイナスt」という方向の時間反転操作を行っても、元の方程式は其の姿形を変えない、あるいはその方程式が表わす運動が実際に存在する時に、その方程式は可逆、時間反転対称性があるともいわれ成立します。ニュートン力学や相対性理論の基本公式は、時間の正負を逆転しても成立する時間反転対称性を持つのです。並行宇宙論を認めればエントロピーを減少させる出来事を観想することは不可能事ではないがが、それを「系の中から観察する」のは不可能というジレンマが待ち構えます。我々が存在する時系列ではエントロピー増大の世界にいるため、そのような逆エントロピーの世界を自ら観察することは決して出来得ないともしますが、可能になればタイムマシンは製造されるでしょう。おそらくは、タイムラインの克服は平行宇宙が鍵を握ります。
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