りんちゃん、今までありがとう。 | 未定

未定

高橋みなみさんを応援し見守り続けるのがメインです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

我が家の愛猫 りん

 

4月25日に肥大型心筋症が発覚してから

闘病を続けていましたが

 

5月17日午前11時25分に

亡くなりました。

 

 

6歳になったばかりでした。

 

 

 

病気が分かってから約3週間

 

辛い病気と必死に戦い、本当に頑張ってくれました。

3週間の間に2回も獣医さんから「今夜かもしれない」と言われましたがそれを毎回乗り越え、次の日にはケロッと元気になったりしながら、いつも通りの日を過ごしたり、発作が起きて生死を彷徨ったりと、良くなったり悪くなったりを繰り返しながら毎日を過ごしてきました。

 

元気な時は身軽に走り回ってよく食べて鳴いてワガママ言って。絶対じっとしてない活発な子で。少しでも元気になると動き回って。でもすぐ疲れて休んで。元気な時は本当に元気だったから、こんな感じで薬を飲んで闘病しながら1年とか2年とか生きてくれるんじゃないかなぁなんて思ったりもしていました。

 

でも最後の1週間くらいは、食欲が落ちて具合が悪くなることが増えてきていて心配していた矢先でした。

 

 

 

5月15日の夜、りんの様子がいつもと違って、階段をおりていたら最後の2段くらいから落ちて床にしゃがみ込んでしまいました。その時は具合が悪くて階段を踏み外したんだろうと思っていましたが、翌日16日の朝、薬を飲ませたあとに後ろ脚がふらついて倒れ込んでしまいました。この症状には心当たりがありました。肥大型心筋症に多い血栓かなと思いました。階段から落ちたのも恐らくこれが原因です。

 

でも痛がる様子もなく後ろ脚が動かなくなったわけでもなかったので、また今までみたいに元気になってくれるんじゃないかなとも思っていました。今思えばこの時、病院で診てもらっていれば間に合ったかもしれない、もう少し生きられたかもしれない。

 

 

 

翌日16日、約1週間ぶりの酷い発作

 

1週間おきに酷いものが来ていたので

また辛い時間が始まる…と思いました。

 

 

れんも心配していました。

 

(16日夕方)

 

 

 

コロもミーも辛そうにしているりんを見てオロオロ。

 

 

 

 

 

りんはこの体勢のまま動けないようでした。

 

 

このあと更に具合が悪くなり、窓際へ行って動かなくなりました。

そんなところにいるとキツイだろうと思い、別の場所へ移動させようとしましたがりんは動きたくないようだったので好きなようにさせてあげることに。人に構われるのも猫に近付かれるのも嫌みたいだったのでそっとしておきました。

 

翌朝17日の朝、りんは昨晩と全く同じ場所で同じ体勢で苦しそうにしていました。

口を開けて荒い呼吸をし、舌も出ていました。今までどんなに酷い発作が起きても、舌が出ることはなかったから心配になった。今日もしかしたら、と思った。この日は仕事を休んで看病することに。

 

朝7時頃から、数十秒~一分くらいの間隔で苦しそうに鳴くようになった。鳴いて手を伸ばしたり、後ろに下がろうとしたり、とにかく苦しそうだった。目もうつろだったけど撫でてやると目を細めてくれて、まだ意識はちゃんとありました。

 

 

10時を過ぎると更に悪化していくばかり。

苦しいのかジタバタ動くようにもなった。もう目もしっかりしていなかった。

場所が場所だったので、そろそろキツイんじゃないかと思いケージに毛布を敷いてそこに移動させた。本当は自分の好きな場所にいさせてあげたかったけれど仕方がありませんでした。

 

 

ケージの柵の間に手を入れてしがみついて苦しそうに鳴く姿がただただ辛かった。細い腕で力いっぱいにゲージの柵を掴んで訴えてくる。苦しみを取り除いてあげることができなくて悔しかった。りんの細い腕にケージの柵が食い込んで折れそうで辛かった。

 

 

そして11時23分。

今までで一番大きく鳴いて(鳴くというより叫ぶ感じ)、横たわった。

体が跳ねてまた何度か鳴いてうつ伏せになった。りんの口元を見ると、ケージの底の柵を思いっきり噛んで必死に食いしばっていた。離そうとしても離れない、相当強い力で噛んでいました。

 

 

 

11時25分

跳ねていた体が動かなくなって、もうピクリともしなくなり、最後は静かに息を引き取りました。

覚悟していたはずなのにやっぱり辛くて感情が溢れ出した。

 

すぐに目を閉ざしてあげようと思ってももう閉まらなくなってしまってて。柵も噛んだままだったから何とか離して。口元を見たら血が出ていて、力いっぱい噛んだ時に出た血なのか、体内から出てきた血なのかは分からないけれど、りんの苦しさ辛さ痛みを全部物語っていて本当に苦しかった。

 

 

 

まだ温かい体を撫でて、よく頑張ったねと声をかけたかったけどかけられなかった。もう苦しむことはないんだと頭では分かっていたけれど、この時はまだやっぱり「死んだら嫌だ」という気持ちが大きかった。お疲れ様、ありがとうなんて思う気持ちの余裕はありませんでした。ただ泣くことしかできなかった。悲しかった。

 

 

少し落ち着いたら首輪を外してブラッシングしてあげて。汚れていたところをタオルで拭いてあげて。まだ体は温かくて硬直もしていなくて、本当はまだ生きるんじゃないかって思ったりもして。何度も何度も本当に動いてないのか確認して。生き返るんじゃないかなんていう期待もしながらりんと最後の時間を過ごしました。

 

 

 

りんが亡くなって3時間くらい経ってから他の猫達も部屋に入れてあげました

れんはりんの匂いを嗅いでから、少し離れた場所で寝転がりました。

ミーは、動かないりんを不思議そうにちょっと様子を見て離れた場所に座りました。コロはビビって逃げてしまいました。

 

 

 

2匹の視線の先には。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その後、ペット霊園で火葬してもらいに行きました。

 

いざ火葬となるとやっぱりまだ連れて行きたくないって気持ちになってしまった。まだ、りんが息を吹き返すんじゃないかなっていう気持ちが捨てきれていなくて。仮死状態にあるだけなんじゃないかとか思ったりして。まだ認めたくなかったけれど、やらなければならないことだから。火葬炉の音がただただ辛かった。止めてしまいたかった。

 

 

約1時間半後、立ち会いの個別火葬だったので拾骨も自分達ですることができました。

爪も歯もなるべく一欠片も残さないように収めました。骨だけになってしまったりんを目の前にして、骨壷に収めている時間が苦しかった。りんが居なくなったということを突きつけられた瞬間だった。

 

 

 

ずっと悲しくて寂しくて嫌だったんだけど

でも家に連れて帰ったらなんだか急にホッとしたんです、

寂しいのには変わりないけれど、りんがまた家に帰ってきた、ここに居るんだって思ったら不思議と嬉しさもあって。この時にやっと、「今までありがとう。もう苦しくないね。」という気持ちになれました。

 

りんには本当はもっと長生きしてほしかったけれど、これでもう苦しくも痛くもなくなったのかなって思ったら少しだけホッとしました。病気の症状が出始めてから3週間、ずっと苦しかっただろうからやっと楽になれたんだと。こっちの勝手な気持ちですけどね。きっと本人はもっともっと生きたかったと思います。必死に生きようとしていました。死にたくなんてなかったと思います。

 

 

 

最後の瞬間も想像していたよりは残酷なものではなかった。もっと壮絶な死に方を想定していた。

でもあれだけ食いしばっていたからには、やっぱり相当辛かったと思う。なんで助けてくれないんだって思っていたかもしれない。ずっとずっと苦しかったはずなのに、何もできなかったことにやはり悔いが残ります。

 

 

この前みたいに病院に駆け込んでいれば、助かったかもしれない。本当にあのまま何もしないことが正しいことだったのか。たとえ病院で死ぬことになっても、わずかな可能性を信じて連れていくべきだったのかもしれない。苦しみに耐えている小さな体にムチを打ってまた無理に注射を打ってもらったほうが良かったのか。でもほとんど栄養を摂っていなかったりんにとって、その注射でさえ、ただ辛いものになるんじゃないかと思った。病院へ連れていくストレスが心臓に悪いとも思った。胸を押さえて抱くことさえ許されない病気であり、興奮させてしまうと終わりだとこの前言われた。

 

2ヶ所の病院で「今度発作が起きても出来ることは何もない」と言われていたけど、それでも。それでも信じて最後まで治療をさせるべきだったんじゃないかって。見殺しにしたんじゃないかっていう思いも残ってしまう。

 

薬を変えてみてたらとか、定期検査をさせて症状が出る前に病気が分かって治療を開始できてたらとか、もっとこうしてたら、ああしてたら、りんはまだ生きられたんじゃないかと。だってりんよりも酷い症状が出てても何年も生きられた猫がいるんだから、もっと適切な処置があったんじゃないかって。それをできてたらもっと生きられたんじゃないかって。まぁこれは獣医さんの判断次第でもあるけど、飼い主としての責任をちゃんと果たすことができなかったのではないかという思いがあります。

 

 

最後を側で家で看取りたいなんて、そんなの飼い主のエゴじゃんね。できることはないと医者からも言われてたけどそれでもとすがって、最後まで薬や注射で無理にでも治療していたら何か違ったんだろうか。

 

 

 

どんなに考えても何が正しかったのか答えは出ません

だけど何をどんなに後悔しても、りんはもう居ないし時間が戻ることもない。病気が分かってから時間をかけて覚悟をしてきましたが、やっぱり罪悪感が残ってしまう。誰のせいでもないのは分かっているけれどそれでも。最善の選択ができていたのか分からない。

 

こんなに苦しむくらいなら、と早く楽になれたらなんて思ったこともあったけど、いざその時が来たらそんなこと全然思えなくて、死んでほしくないって思いでいっぱいでした。生きる者全ていつかは死ぬと分かってはいるけれど、やっぱり悲しいもんは悲しいんです。寂しいんです。

 

 

 

まだ6歳になったばかりだったのに。りんが一番運動が好きだし肥満でもないから一番長生きするんだろうなって思っていたんですけどね。一番早く逝ってしまった。早すぎる。

 

ほんとに、人間もだけど猫も犬も定期検診が大事ですね。動物の場合、病気が早期発見できたからと言ってそれを伝えられるわけではないからストレスを考えると、通院や手術や投薬が必ずしも正しいわけではないとも思いますけどね。りんに薬を飲ませるときも相当なストレスを与えていたと思う。

 

 

 

りんちゃん、幸せだったかな

幸せに楽しく生きられたかな。

こんなに早く死んじゃうんならもっとおやつとかあげてれば良かったな。我慢させてたこともいっぱいあったんだろうな。

 

 

りんがどう思っていたかは分からないけれど私たちはりんが居てくれて楽しかったし幸せでした。

一番のワガママ娘だったけど賢くて可愛い子だった。急に病気が発症してしまったかと思えばそれからずっと苦しい日々が続いて、今まで通りには暮らせなくて本人も苦しかったと思う。走り回るのが大好きだったのにそれもできなくなってつまらなかったかもしれない。でももう苦しくないから、天国で仲間達といっぱい遊んでほしい。

 

 

 

りんちゃん、みんなより早く先に行ってしまったけれど、3年前に事故死したりんの娘も先に行ってるから寂しくないよ。りんには3匹の子供がいるのですが、2匹はうちにいて、もう1匹は子猫の頃に里親に出したんですが外飼いにしていたらしく1歳のときに交通事故にあって亡くなってしまったそうです。りんに良く似た子だったから母と娘、きっと気が合うんじゃないかな。再会してたくさん遊べるといいなって。

 

 

 

 

 

 

 

5匹の家族だったのに

もう3匹だけになってしまった。

早いね。

 

 

 

 

 

短命な運命の家系だったらどうしようと心配。

れんも子猫の頃何度も死にかけて何度も入院してるから

またいつあの謎の発作が出るか分からない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わりと、気持ちの整理がつくのは早かったと思います、

それはりんが3週間頑張ってくれたから。

心の準備をする時間をくれたから。

 

 

気持ちの整理はある程度ついたけど

やっぱり毎日りんの姿を思い浮かべるし

思い出すと寂しくなるし

後悔だってあるけど

少しずつちゃんと供養してあげられたらなと思います。

 

 

 

 

実は、りんを火葬した翌日に不思議な出来事がありまして。

うちには、りんと犬猿の仲だった「もも」という猫もいるのですが、やっぱり最後まで仲良くなることはできず最後までりんとは別の部屋で暮らしていました。(同じ部屋にいるとりんがももを襲って、ももが傷だらけになってしまう。)

 

それでりんが居なくなってから部屋を解放して、ももが自由に行き来できるようにしました。特に何も変わった様子はなく、りんが最後の時を迎えた部屋でもくつろいだりしていました。

 

 

ところが、急にそわそわし始めてりんの骨壷を置いている棚に近づき、パッと骨壷を見たかと思ったらいきなり骨壷に向かってシャー!と威嚇をし部屋を出て行ってしまいました。その後も骨壷のある部屋には入ろうとしませんでした。時間を置いて何度かそーっと部屋に入ってくるのですが、やはり何かに気付いたようにパッと骨壷を見ては、威嚇したり唸ったりして逃げていきます。

 

最初は首輪に反応してるのかと思って首輪だけどかしてもやっぱり威嚇するし、じゃあ写真に怒ってるのかと思って写真もどかしても威嚇するし、やっぱり骨壷を見てるんですよね。。いくら敵対していた相手とはいえ、さすがにわからないですよね…?不思議です。霊的な何かだったら、そこにりんが居るのかぁと思うとちょっと嬉しい。(霊怖いけどりんちゃんの霊なら大歓迎)

 

 

 

猫には何かわかるのかなあ。

 

ももちゃんだけに見えた?

 

 

 

 

 

そして、その翌日ですが

またやっぱり骨壷の方を覗き込んでは唸るんです。

でもその時は前日とは違って、逃げずに棚の前に座ったんです。

2、3回唸って、棚の前に座って10分くらいじっとしてたんです。

骨壷を見たり、耳を立ててヒゲが前方に集中していたり、しっぽの先が上を向いてたり見ていて不思議な様子でした。

 

そして棚の前から離れて

部屋から出ていかず背伸びをしてから

部屋に置いていた布団の上でくつろぎ始めたんです。

 

 

 

えっ、まさか仲直りした?

 

なんて思ったり。

 

 

この出来事の後も、一応骨壷のほうを気にして覗き込んだりはするんだけど、威嚇はしなくなりました。たまにちょっと逃げ腰になってるけど。

 

 

なんとも不思議な出来事でした。

 

私は私で、りんが走り回っていた時によく聞こえていた鈴の音が聞こえたりしたし、なんだかこの部屋にりんがいるんじゃないかって思うことが多々あって不思議な感じ。ただの思いこみかもしれないですけどね。でも居たらいいなぁなんて思ったりもして。

 

 

こういうこともあるから、人間のほうがいつまでも悲しく思ってると余計に良くないのかなと思ったのでちゃんと供養したいなと思います。四十九日を目処にちゃんとしかるべきところに納めようと思います。本当はお別れしたくないんだけど。。

 

 

 

それまではここで思う存分、遊んで行ってね

りんちゃん今までありがとう。たくさんの喜びをありがとう。ゆっくり休んでください。

助けてあげられなくてごめんなさい、ずっと大好きです。

 

 

 

 

 

 

 

本当はずっとここに居てほしいけど

あんまり良いことではないだろうから。。

 

ここにりんが居るって思うと嬉しくなるから

本当は手放したくないんですけどね。

毎日家で手を合わせたいんですけどね。

 

りんの駆け回る足音も

鈴の音も聞こえなくて本当に寂しい。

 

りんがいなくなっただけで

家の中がとても静かになりました

寂しいなほんと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

りんがうちに来て5年と11ヶ月

 

生後1ヶ月半~2ヶ月位の時に来たので

今年の5月で6歳になっていたはずです。

 

 

 

今でも全部覚えてる。

 

2012年6月30日

人見知りの激しい子猫がうちへやってきました。

 

 

 

 

 

少しずつ慣れてくれました

どんどん成長していきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

れんが体調を崩している時には

いつも寄り添ってくれる優しい子でした。

 

 

 

 

 

よくわからない一人遊びが大好きでした。

 

 

 

新しい障子を張っては、すぐ破られての繰り返しでした。

 

 

 

 

水槽が大好きでした。

 

 

 

 

水槽の蓋をいつも落としてたから水浸しになって大変でした。

水槽の水を飲むから水の減りが早くて困ってました。

 

 

 

2013年6月28日に母になりました。

 

 

 

 

 

 

警戒する様子もなく

すぐ子供たちを見せてくれました。

 

 

 

 

 

初産だったけど立派に母親をやっていました

褒めてくれと言わんばかりの顔で

いつもこっちを見ていたのを思い出します。

 

 

 

子供たちが動き回れるようになった頃、

りんは子猫が移動するたびに寝床に連れ帰ってて大変そうでした。

 

 

 

 

 

子育て頑張ったね

 

 

 

 

 

りんちゃん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

亡くなる二日前。

 

 

 

 

膝の上に乗って

撫でててあげるとゴロゴロ喉を鳴らして甘えてくれた

 

 

 

 

頑張ったなぁほんと。

 

 

 

 

 

かわいかったなあ。

 

 

 

 

 

もっと一緒にいたかったな。

 

今日はりんが夢に出てきた。

 

 

ネットで注文してたりんちゃんのフォトブックも届いたよ。

 

 

 

 

 

 

2日前に頼んだのにもう届いた。144ページで1000円で作れるなんて最高だね。早いし安いし、初七日の今日、家族みんなで思い出に浸れてよかったです。なかなかスマホのデータって見ないから現像してこその写真ですね。

 

 

 

 

 

144ページ分のりんちゃんをいつでも楽しめる。

 

 

 

 

 

どうか安らかに。

本当にありがとう。

 

寂しいからたまに夢の中に出てきてね。