村主章枝さんの講演会に行ってきました!~引退を決意した知られざる理由~ | スケオタ男子大学生のブログ

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フィギュアスケートについてたっぷり語ります!

昨日、村主章枝さんの講演会に行ってきました!
富山青年会議所という団体の主催で、誰でも無料で入場可でした。





「銀盤に輝いて生きる ~夢は人生の原動力~」と銘打って、村主さんがこれまでの長いスケート人生を振り返りながらお話していくというもの。

1列目に座れたから、ほんの数メートル先に村主さんが!
テレビで見るよりずっとお綺麗でした(*^o^*)小柄で華奢で!


なかなか聞くことのできない貴重なお話だったように思います!
以下、内容をレポしますね~。
お話はスケートを始めた幼少時代から。
時間のない方は、後半部分から読んでいただければと思います。

トリノの部分は…切ないです。
そして最終盤、引退を決めた知られざる本当の理由を知って、ウルッとしてしまいました。。


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3歳から5歳まで、父の仕事の都合でアラスカに住んでいた。
アラスカでは、日常の遊びとしてスケートが根付いていて、よく滑っていた。

その後帰国し、6歳のときにスケートを習い始めた。
英語はすぐに忘れてしまうだろうけど、なにかでアラスカの思い出を一生のものにしてあげたいと母が考え、スケートを習わせた。
だから、選手になるつもりもさせるつもりも全く無かった。

普通の習い事として、1日1時間練習できれば良いほうだと思って続けていた。
お金の面でも、それ以上はなかなかできなかった。

中学2年の頃、初めて全日本ジュニアに出場するも散々な演技となる。
その時はじめて、人前でこんな演技を見せてしまって恥ずかしいという思いが湧く。

翌年の中学3年時、全日本ジュニアの表彰台に上がり、初めて国際大会に派遣される。
ここで初めて「競技者」との自覚が芽生える。

そして、高校1年で全日本選手権優勝。
翌年に控える長野オリンピックを意識するようになる。

しかし、1日1時間の練習をしているくらいでオリンピックに行けるほど甘くはなかった。
高2、長野五輪への出場を逃す。
出場したのは、後にもライバル関係が続いていくことになる、荒川静香さん。

自国開催のオリンピックということで、国内は非常に盛り上がっており、
テレビ等でオリンピックのその盛り上がりを見て、出場できなかったことへの悔いが残る。
ソルトレークには絶対に出場すると決意する。

その頃、他の選手の演技を見て、ローリー・ニコルの作品を滑ってみたいと強く思うようになる。
そこで、ダメ元でローリーに電話をかけ、私の振り付けをしてほしいと頼む。
ローリーのもとには日本から初めての依頼ということで、たまたま運良く引き受けてもらえることとなった。
彼女との出会いが、村主章枝のスケート人生の最初のターニングポイントとなるのであった。

ローリーが、「表現」をしっかりと仕込んでくれた。
今でも「氷上のアクトレス」と言ってもらえることがあるが、それはローリーのおかげ。

彼女の振付は、まず「あなたは何の役をするの?」という場面設定から始まる。
そこから一つ一つの振付にストーリーを付けていく。

ローリーが見ている視点は、普通の人とは違う。
ある日、練習でローリーにみっちりしごかれた後、練習帰りに彼女が車の中で言った言葉が印象的だった。
「私は、夕日がオレンジ色から濃いダーク、黒色に変化していくあの色をコスチュームに表現したいの。」と。
改めて、ローリー・ニコルは素晴らしい感性の持ち主なんだとその時感じた。

長野からソルトレークまでの4年は、ある意味順風満帆に進んでいった。
ソルトレーク前年の世界選手権では7位に入り、これまで1枠だった出場枠を2枠に増やすこともできた。
長野は1枠だったが、ソルトレークは2枠あるのだから今度こそ大丈夫だと思っていた。

しかし、村主章枝は村主章枝…
オリンピックシーズンのNHK杯でやらかしてしまい、他の選手(恩田美栄)が1枠内定を持っていってしまう。

またもや全日本で荒川静香さんと一発勝負。
もし負けたら、私の4年間はなんだったのか…という思いがめぐる中、見事勝利して出場権を勝ち取る。

ソルトレーク五輪の舞台では、その時出来る100%の力を出し切ることができた。
やることはやった!と感じ、その時は満足だった。
しかし、表彰式を見ていると、自分も表彰台に立ちたいと強く感じた。
次回のトリノでは必ず表彰台に立つ!と決心する。

トリノでメダルを獲るためには何が必要か考え、骨格改革を行うことにした。
しかし、始める時期が悪かった。
それもあってコーチとギクシャクし、シカゴ・ロシアと拠点を転々とすることとなる。
ロシアでは、今になって考えると非常に危険だが、白タクのヒッチハイクなどもしていた。

その後再び日本に拠点を移す。
ソルトレークの頃は、トリノには絶対に行けるだろうと考えていた。
しかし、若手の台頭でピンチに。
しかもトリノ五輪シーズン直前にケガをしてしまう。
またもや!全日本1発勝負に…

その全日本で見事優勝し、トリノ五輪代表の座を見事勝ち取る。



トリノオリンピックでは、その時できる力を全て出し切ることができた。
しかし、結果は4位…。

優勝した荒川静香さんの演技は素晴らしかった。
しかし、2位の選手(コーエン)と3位の選手(スルツカヤ)の演技には転倒があった。
自分は転ばなかった。それなのに4位…

納得することなんて到底できなかった。
「なんで??」と、頭の中にはクエスチョンマークしかなかった…。


試合直後のドーピング検査がつらかった。
1~4位の選手と、抽選でランダムに選ばれた1人の選手と、その関係者たちが狭い部屋に一同に会す。
荒川静香さんのチームは大喜び。
しかし、2位と3位の選手は大泣きしている。
ミスのない演技をしたのに転んだ選手に負けた自分は、泣いていいのかも分からず複雑な気持ちだった。


トリノの頃はまだ若く、なにも知らなかった。
自分の力だけではどうすることもできないことがあるということを。
自分の力だけでは叶わないものがある…ということが見えてきた。
「大人の事情」というものを学んだ。

そんな中で、自分にできることは、「純粋に良い演技をすること」だけ。

そうして初めて、本当の意味で、周りで支えてくれている人であったり、自分のために会場に足を運んでくれるお客さんの顔が見えてくるようになった。



次はバンクーバー。
しかし今度は年齢の壁にぶち当たる。
十代の頃のように、寝れば治るといった回復力はもう無い。
これまでのトレーニングメニューでは、ただ疲れだけが蓄積するようになっていった。
また一から、今の自分にあったやり方を探していくのは大変だった。

バンクーバー五輪プレシーズンには、新しいコーチ(ニコライ・モロゾフ)と共に素晴らしい成績を残すことができた。
そのコーチとは気はとても合っていたが、オリンピックシーズンに日本人選手2人(安藤美姫)を同時に見ることはできないということで、離れなければならなかった。

その結果、バンクーバー五輪シーズンは落ち着いた環境で練習することができなかった。
五輪代表最終選考会の全日本選手権では、7位。

15歳の頃からずっと付いていた先生に、「今日の演技じゃ情けない」と言われた。

ずっと付いてくださっていた先生に、「情けない」と言われる終わり方だけはできないと感じ、ソチを目指して現役続行を決意。

現役続行で最も苦労したのは、資金面だった。
そのどん底から救ってくれた陽進堂さんには、一生感謝してもしきれない。



しかし力及ばず…ソチ五輪シーズンの2014年、全日本選手権の予選で敗退。
演技に悔いが残り、平昌を目指すとは言えなくとも、1年1年でいいからやろう!と決意する。

しかし、2年連続で全日本選手権へ出場できない現実を考えると、このまま同じやり方では、平昌もきっとダメなんだろうな…という思いがよぎった。

そんな中、2014年の春、ローリー・二コルのもとに来ていた中国のスケーター達のトレーニングや表現力の指導を手伝う機会がめぐってくる。

その中に、ソチオリンピックの出場を逃した男子選手がいた。(ナンソンだと思われる)
彼はとても能力のある選手だが、コーチの指導は別の選手に傾倒していたらしい。

そんな彼に、村主さんは昔の自分の姿を見ているようだったと言う。

ある日、村主さんは彼と一緒にご飯を食べているときに彼に語りかけた。

「私はオリンピックに2回出たけれど、メダルを獲ることはできなかった。だから、メダルを獲れた人生と獲れなかった人生の違いは、誰よりも知っている。でもあなたの国の中国では、オリンピック選手と、出られなかった選手の扱いには日本以上に残酷な違いがあると思う。もしあなたが本気でスケートが好きではないのなら、今すぐスケートを辞めたほうがいいと思う。そうすればいくらでも新しい人生が開ける。無理にスケートにしがみつく必要はない。でももし、あなたが本気で次のオリンピックに行きたいのなら、私は助ける!」と。

彼は2,3日後、「やはり自分はオリンピックに行きたい!」と村主に報告した。
村主は、精一杯助けると約束した。



2014年秋、現役引退を決意した。
正直まだまだ現役には未練がある。体力的に無理と思ったことは1度もなかった。
しかしそれでも引退を決めた大きな理由は、「彼との約束」であった。

自分を必要としてくれている人の力になりたい…と強く感じたのは初めて。
自分の作品を、オリンピックの場で披露させたい。
自分で滑るだけじゃない。指導や振付でも、自分を表現することはできる!

村主章枝、私の人生、本編はここから・・・。



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講演の内容は以上のような感じでした。
上手く伝わったかは分からないけれど…「ナンソンとの約束」、ウルッと来ますよね。。。

知らなかった…。
2人とも、頑張ってほしい!



その後質問コーナーがあって、図々しく質問しちゃいました!笑

.「長い現役生活の中で、村主さん自身が一番好きなプログラムはなんですか?」と。


村主さんの答えは…

少し迷って、「月光!」とのことでした。

「月光はソルトレークのシーズン、現役最後のシーズンと2回演じたけれど、1回目の月光は9.11のテロを…2回目の月光は…」
と村主ワールドで語ってくれましたが、ずっと村主さんは僕の目を見て話してくださったので、緊張して内容忘れちゃった…ww


「長い現役生活お疲れ様でした!」ということと、「2005年の全日本の村主さんの演技を見てフィギュアスケートが大好きになりました!」ということもお伝えできて本当に良かったです!




振付師としての現在の状況についての質問もあがり、
「おかげ様で今は忙しくさせてもらっている。やらなければならない振付の仕事が6.7個たまっている」とのこと。


最後に上がった、フィギュアスケートに出会って良かったことは?との質問には、

「何でもないこんな私が、たくさんの人と出会う縁をいただけた。体格的にも骨格的にも、音楽的なセンスにも恵まれなかった私が、人の縁には恵まれたんです…」とのことでした。






1時間ちょっとという短い時間でしたが、本当に素晴らしい有意義な時間でした。
村主ファンとしてはこんな濃い話を聞けて大感動!

村主さん、ありがとう!!


今後の活躍を心から祈っています。