少子高齢化、核家族、あと一年、一人の部屋、人生の末路、だから、今、歩行想人 | ”秋山なお”の美粒ブログ

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音楽、ナノテク、微粒化、日々の思いをつづっています。
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 少子高齢化、核家族、これから、どっと、老人が増えてくる。経済が右肩あがりならいい、どこの路地でも、こどもが、はしゃぎまわっていたらいい、地蔵さんの前の椅子に、老人がすわり、その近辺を、こどもが遊ぶ。そんな光景があれば、老人の時間と子供の時間が重なり、社会は円滑に機能していく。上る太陽と沈む太陽、人口のバランスが合えば、老人と子供は、地域や社会で、看護することができる。しかし、子供がいない。路地で遊ぶ子供がいない。おじいちゃんやおばあちゃんがひとり、玄関先で、ぼっと虚空を見ている。

 

 子供はいつの日か出ていく。核家族、残るのは、夫婦二人、そのまま、一緒に旅立てればいい。しかし、現実的にはそうはならない。どちらかが先にいく。女性の方が平均寿命が長いから、旦那の方が先に行く方が多い。しかし、もし、妻が先にいかれたら、残った夫は、相当につらい。この関係を昨年の3月に歌に綴ったことがある。妻が病に倒れ、個室に移された心境を歌に綴ってみた。もちろん、ひとつのフィクションである。“あと一年”という歌である。

 

http://ameblo.jp/nao-fm505/entry-11490966456.html をクリックしてもらえたら、それが出てくる。YOUYUBEで秋山なお、あと一年、でも出てくる。あと一年、生きていたいという内容だ。それは、妻からの視点での歌。そして、その後に、“一人の部屋”という曲を書いた。それは、妻が死んだあと、一人残された夫(男)の心境をつづったものだ。是非、年配の人には、聞いてもらいたい曲である。

 

http://ameblo.jp/nao-fm505/entry-11489063842.html をクリックしてもらえたら、それが出てくる。YOUYUBEで秋山なお、一人の部屋、でも出てくる。これが、人生の末路にでてくる一番つらい試練に違いないと思う。妻に先だたれた男の偽らざる心境だと思う。何気ない時間、当たり前の時間、家の扉を開けたら、そこにいる人がいない。旅行ならいい、また戻ってくる。しかし、それが、永遠に戻ってこない旅立ちだったなら、その時に去来する寂寥は、堪えられぬものではないはずである。しかし、どこかで、それが来る。

 

 だから、私は、歩行想人を書いた。いつか、別れる時が来る。男が先に行けばいい、しかし、妻が先に行ってしまったら、その時、男は必ず、狼狽し、慟哭する。人生とは、なんだったのか、あの時、もっと、いたわればよかったと、失って初めて感じる。何気ない時間、その何気ない時間がどれほど大切だったか、それがどれほどの重たさを持っていたか、健康と同じように、病気になって、健康のありがたさがわかる。失って、初めてそのありがたさがわかる。その前に、あるのが、歩行想人である。共に、歩ける時間はわずかである。いずれ、別れる時がくる。その時まで、しっかりと歩んで行かなければならない。その精神、その心が、歩行想人なのである。

 

http://ameblo.jp/nao-fm505/entry-11516967847.html をクリックしてもらえたら、それが出てくる。YOUYUBEで秋山なお、歩行想人、でも出てくる。

 

 どこかで、ギターをもって、あと一年、一人の部屋、歩行想人等、弾き語りで歌える日が来ることを願っている。私にとって、微粒化原理を伝えること、美粒システムを広めること、そして、若い人たちに私が習得した技術を伝承することと、同世代や年配の人々に、残された時間、失いかけるものの愛おしさを、再確認してもらいたいという思いは、結局同じ事なのである。

 

 一人の部屋を想像していただきたい。これほど、ぞっとする気持ちはないはずである。