「いちご白書」をもう一度をギターで弾きながら。 | ”秋山なお”の美粒ブログ

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 この曲は、1975年の発表の曲である。作詞、作曲は、当時の荒井由美さん、歌は、バンバンで、ボーカルはばんばひろふみさんであった。当時、十代の私にとって、非常に印象深い曲だった。カセットテープに録音して、何回も聞いた曲である。どこに、魅かれたのか、それは、この曲が青春の哀愁をうたい上げたからである。今も歌詞をみていると、心に刺さる思いである。そして、今、原曲のコードに忠実に、弾いて歌ってみる。まず、声がでない。普通の人は、たぶん、この曲、原曲のAmでは、歌えないはずである。なぜか、この曲の最高音が、ファだからである。ノートネームでいったら、F5(キーナンバー77)だからである。この曲のもっとも、インパクトがあって、最も心惹かれるサビの歌詞、「就職が決まって、髪を切ってきたとき、もう若くないさと、君にいいわけしたね」、最初の「就職がきまって」では、ラレミファと音が一気にあがる。ラはAm、そしてファは、Dm7、このファは裏声、ファルセットでは意味がない、ラレミとおなじ、ミドルの声で、かけあがらないと、情感がでてこない。たぶん、わかかったばんばさんは、この声がきれいにでていた。たぶん、今は、この原曲のコードでは声がでないはずである。若さがあるから、力づよく、出せる音域である。よほどボイストレーニングで喉をひらく訓練をしなければ、このファの音は、普通はかすれるはずである。

 

 

 それにしても、「就職が決まって、髪を切ってきたとき、もう若くないさと、君にいいわけしたね」この歌詞ほど、青春のもの悲しさを端的に表現した言葉はない。むかしは、ほとんどの若者は髪を伸ばしていた。そして、ベルボトムのジーンズをはいて、多少、見栄があるのか、高いヒールをはいていた。それが、ひとつのファッションだった。その頃、社会にまだ余裕があった。バブル前、石油ショックを乗り越え、日本経済が、最盛期に向かう出発点だったころである。学生運動が、下火になるころといっても、まだ、大学の門には、看板やポスターが立てかけてあった時代であった。日本がすこしづつ豊かになっていく過渡期であった。その残像をうたいあげたのが、いちご白書をもう一度、なのである。学生というモラトリアムがおわって、社会にでていく、それが、ひとつの青春の終わりとだれもが意識した時代である。就職がきまって、髪をきる。肩まで伸びていた髪を、きる。耳をだすぐらいまで、短く刈らなければならない。きたないジーンズから、紺のスーツ、そして、ネクタイをしめる。黒い革靴、まるで、戦中の軍隊へ入隊する感覚である。だから、もう若くないと言い訳をする。社会にでれば、社会の論理がはいる。企業の論理が入る。そこにあるのは、上下関係、命令と服従の関係が存在している。いまでも、社会とは、多少、ルーズになっても、基本は同じである。だから、長いものには巻かれなければならない、理不尽と反抗していても、いったん、企業にはいれば、その論理は通じない。正義は、労働法であり、企業の就業規則であり、業務命令である。嫌なら、やめろという論理である。そこに強制はない、しかし、働かなければ、生きていけない。それが現実である。

 

 

 哀しいまでにその不条理をうたいあげたのが、この「いちご白書」をもう一度なのである。この曲は1975年に発表した曲である。卓越した歌詞の能力をもった当時の荒井由美さん、当然にそれから、その能力は、今日まで継続されることになる。松任谷由美さん、中島みゆきさん、その卓越した詩の感性は今でも見事である。苦労と引き換えにえた天賦の才なのだろう。

 

 

 そして、この曲の心地よさは、歌詞のストレスが、弱起(アウフタクト)で、構成されていることである。通常、音楽の小節の頭には、強拍がくる。そこにアクセントがくる。この曲は、小節のまえに、二音節(二つの音符)、三音節(三つの音符)が、きている。最初の歌いだし、いつか、君といったのいつは、前の音節になり、最初の音節は、いつかのかの音になっている。かは、二分音符である。そこに、アクセントがきている。つまり、曲に韻があるという感じである。だから、この曲のサビの部分も、「就職が決まって、髪を切ってきたとき、もう若くないさと、君にいいわけしたね」も、就職/が(第一アクセント)決まって、髪を/きっ(第一アクセント)てきたとき、もうわ/か(第一アクセント)くないさと、きみに/い(第一アクセント)いわけしたね」 というふうに、うまく言葉の韻を踏んでいる。ちゃんと言葉のリズムと音符とが、計算され配置されている。これは、よほどの音感と語彙の豊富さ、表現力の巧みさを、兼ね備えていなければ、この言葉とこのメロディは、リンクしないはずである。

 

 

 これができる人が、シンガーソングライターになれる人なのである。中島みゆきさんも、同じである。言葉だけでなく、それに、音を組み合わせる。そしてリズムから、言葉の修正がはいる。音節を合わせなければいけないからである。詩の内容を重視して、言葉をリズムから、再構築しなければいけない。ある意味、俳句や短歌の定型詩とおなじ制約がリズムからくるのである。

 

 

 だれでも、年をとる。若い時にでた音域もだんだんとその音域がでなくなる。だんだんと、キーを2-3さげなければ、歌えなくなる。いちご白書をもう一度の時代をネットでみていたら、そこで偶然、昔のアイドルの映像をみた。ふたりのきれいな人に目がとまった。その人が歌う歌をすぐに思い出した。ひとりは、園まりさん、そして、もうひとりは、麻丘めぐみさんだった。若さに満ち溢れていて、非常に美しいひとだった。そして、ネットでは現在のすがたも映っていた。ふたりとも、ぽっちゃりとされたいいおばさんだった。わたしよりも年配だから、いいおばあちゃんかもしれない。

 

 

 人は年をとる。そして、いつしか、その日がきたら、天に召される。園まりさんも、麻丘めぐみさんも、決して順風満帆の人生ではなかったろう。みたくもない人のいやらしさも見てきたことだろう。ふたりの今と昔を見比べていると、人生とは何かが見えてくる。どのみち、朽ち果てる我が身なら、未来に何かを残せたらと思う。わたしは、毎朝、中学生といっしょになる。この寒さでも、スカートから素足を出している女子生徒もいる。この子らが、私の年齢になるころ、私は、確実にこの世にはいない。この子たちの未来のために、何ができるのか。何を残してあげられるのか。年寄りは、己の断末魔のエゴを優先させるよりも、その子たちのために、今何ができるのか考えて、残り少ない人生を有効につかって生きた方がいい。「いちご白書」をもう一度をギターで弾きながら、そんなことを思い起こした。