大岡昇平『野火』読書会のもよう(2017 6 16) | 信州読書会

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2017.6.16に行った大岡昇平の『野火』のツイキャス読書会の模様です。

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私も書きました。

『男がみな人食い人種であるように、
女はみな淫売である』



人間というのは、尊厳を大切して生きることもできると同時に、畜生以下の卑劣さにも堕する生き物である。英語で言えば、尊厳は、dignityである。この言葉は、indignation(怒り)という言葉と関係があるのだ。個人の尊厳が、人間が人間たる本質だとすれば、人間は、怒らなくなったとき、もはや人間ではなくなる。

仲間の肉を猿の肉だと偽れば、飢えた人間は、食べるだろう。しかし、尊厳が麻痺すれば、今度は、仲間の肉を、口にするようになる。安田の肉を食べて生きようとする永松を、田村は、射殺した。

『男がみな人食い人種であるように、女はみな淫売である。』(P199)

いつまでたっても、この世から戦争がなくならないのは、人間が人食い人種であり、淫売であるからだ。

文明国に住んで、豊かな生活をしているが、一皮むけば、男は、人の肉を食い、女は、淫売を生業としている。

ときどきワイドショーを観ていると感じる。政治も芸能も人食いと淫売で成り立っているのではないか、と。

庶民の生活も結局同じだ。みなが、誰かをだまして搾取して金を稼ぎ、自分をだまして、他人に尊厳を売り渡して金を稼ぎ、それを、仕方のないこととして、正当化して生きている。耐えがたい真実を薄々知っていても、「これは、猿の肉だ」とお互いに言い訳して、やり過ごしている。

戦争は人間の背負った業だ。平和な社会秩序も、何枚もめくれば、いつしか、人が人を食べ、淫売を糧として生きているような戦場さながらの陰惨な光景に出くわす。社会の片隅で、新聞の三面記事で、すぐ隣の家で、人間の業は、戦場と同じ絶望の光景を再現している。

壁の向こうに、私の永松がいる。悲しいかな、私だって人食いであり、淫売である。自分に怒りながらも、結局は、間接的に、人肉を食い、淫売を楽しむことに加担している。野火のような幻想にひきづりまわされ、浅ましい欲望にかられて生きている。

壁の向こうにいる私の永松を明るみに出して、射殺しようとすれば、脳の一片がもぎ取られるほどに苦しい。

(おわり)

読書会の録音です。






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