【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

“難民の父”/ フラム号で北極点へ=05=

2017-12-15 06:04:28 | 浪漫紀行・漫遊之譜

○◎ 19世紀末 探検家ナンセンは大胆な企てに乗り出した =フラム号の軌跡= ◎○

= Webナショジオ_“北極探検 この物語”に転載・補講 & 世界のスーパーアルピニスト =

流氷の流れを利用して北極点への到達する冒険を開始_氷の世界の1,000日_

◇◆ 新氷上船(フラム号)の建造・乗組員の選出  ◆◇

 遠征の総費用に関してナンセンの当初の見積もりは、30万N・クローネだった。 ナンセンはノールウェー議会で情熱的な演説を行った後、20万N・クローネの歳出を認められ、残りは民間の寄付から集められた。 その中にはノルウェーおよびスウェーデン王オスカル2世からの2万S・クローネもあった。 ロンドンの王立地理学会も300ポンド(6,000N・クローネに相当)を出した。 しかし、ナンセンの見積もりは少な過ぎ、船だけでも総費用見積額以上を要することになった。

 ノルウェー議会に請願し直して8万N・クローネが追加され、全国に訴えて資金合計額はN・445,000クローネになった。 ナンセン自身の証言に拠れば、不足額を自分の懐から出したことになっていた。 ナンセンの伝記作者ローランド・ハントフォードは、最終的不足額12,000N・クローネを裕福な支持者であるアクセル・ハイバーグとイギリスの国外居住者チャールズ・ディックの2人が支援したと記している。

 計画を成功させるには、ジャネット号よりもはるかに頑丈な船が必要だった。 そして1891年、ナンセンはノルウェーの指導的造船業者であり海洋建築家だったコリン・アーチャーという造船技師を雇い、十分な強度を備えた船を造るように依頼した。 アーチャーは海洋航行性に浅い喫水を組み合わせた船殻設計で特に有名であり、船尾も船首と同様に尖った形にして操作性を増した「ダブル・エンディド」(船首尾同形)のデザインを開発していた。 ナンセンは、アーチャーが「次から次に図面を引き、新しいものを作っては直ぐに捨てていた」と記録している。 最終的に設計に合意が成立し、1891年6月9日に2人が契約書に署名した。

 アーチャーが設計した船体は、一般的な洋式船舶と比べて、奇妙なほど丸みを帯びていた。 また、貨物を積み込む船倉は頑丈な木材で補強されていたし、氷の圧力によって壊されないように、舵とスクリューが水中から船内に引き上げられるような構造になっていた。 厳しい寒さから隊員たちを守るため、ナンセンは厚いフェルトの布やトナカイの毛皮、細かく刻んだコルク材、タールなどで船体を覆った。 日中でも太陽が姿を現さない冬の極夜に備えて、発電用の風車を取りつけ、アーク灯が灯るようにもした。 船室には、居心地の良いサロンや、ナンセンが厳選した600冊ほどの書籍が並ぶ図書室もあった。

 ナンセンは船を1年以内に欲しかった。 他の誰かがそのアイディアを採用して出し抜かれる前に取り掛かりたかった。この船の外形で最も重要なことは船殻が円いことだった。 そうすれば、氷が付着できるようなものが無いはずだった。 船首、船尾、竜骨も丸くされ、船腹は滑らかに、ナンセンの言葉では、「氷に捕まれてもウナギのようにすり抜ける」ものになっていた。

 船殻を特別強くするために、手に入る中では最も硬い木材である南アメリカのグリーンハートで覆われた。 船殻は3層となり、組み合わせた厚さは24インチから28インチ (60–70 cm) となり、船首では約48インチ (125 cm) にもなり、さらに突き出した鉄の部材で保護された。 船殻の全長にわたる梁と筋交いによって全体の強度が上げられた。

 ナンセンは1888年から1889年に行ったグリーンランド遠征では、伝統的な大規模の人員、船、バックアップに頼ることから、小規模の良く訓練された集団で挑戦的遠征(グリーンランド)を成功させていた。 今回の北極点への航海でも同じ方針に従い、世界中からあった数千の応募者の中から12人の隊員を選んだ。 応募者の中に後に南極点を征服した当時20歳のロアール・アムンセンが居り、その母が行くのを止めた。 イギリス人探検家フレデリック・ジャクソンが応募したが、ナンセンはノルウェー人のみを望んだので、ジャクソンは独自にゼムリャフランツァヨシファへの遠征を組織した。

 遠征隊が生命を託す新建造船の船長で、遠征隊の副隊長になる者として、グリーンランド横断に参加した経験ある水夫のオットー・スベアドラップを選んだ。 スループ船の船長として北極での経験があったセオドア・ヤコブセンが新建造船の航海士として契約し、若い海軍大佐シグアド・スコット・ハンセンが気象学と磁気学の観測を行う任務を与えられた。 船医かつ遠征隊の植物学者はヘンリク・ブレッシングであり、遠征出発日の直ぐ前に医学部を卒業して来ていた。 陸軍の予備役中尉であり犬ぞりの専門家だったイェルマー・ヨハンセンは、是が非でも遠征に加わると決めてきていたので、その時残っていた唯一の職である火夫として契約した。

 航海士や船長として20年間の船員経験があったアドルフ・ジュエルも同様に遠征隊のコックとして契約した。 アイバー・モグスタッドはゴースタッド精神科病院の役人だったが、その便利屋と機械工としての技術的能力がナンセンに印象を与えた。 隊員の中の最年長者は40歳の機関士長アントン・アムンセンだった(ロアール・アムンセンとは無関係)。 二等機関士のラース・ペターセンはスウェーデン国籍を隠していたが、間もなくその仲間から見つけられたものの、遠征隊に残ることを認められ、ノルウェー人ではない唯一の者となった。 その他の隊員として、ピーター・ヘンリクセン、バーンハルト・ノアダール、バーント・ベンツェンがおり、特にベンツェンは漁港・トロムソで急遽隊員になった。

動画資料 :"a scene of the arctic circle" : クリック➡

https://youtu.be/SYFiN0vKE1w


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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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