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続・その後のコンパオレ(2)〜権力者の責任

2017-04-26 07:00:45 | アフリカ情勢
このブログでもしばしばフォローしているブルキナファソ情勢。歴史は新しい展開に向かいつつある。

2014年の国民革命における衝突の惨事。前政権に対する公判が当地明日、4月27日からスタートする。その罪状は、当時のチャオ首相を含む政府閣僚たちと、治安部隊中枢に向けられている。

で、肝心のコンパオレ氏は?!
というところで前回の話は切れている。

未読の方はこちらからどうぞ↓
続・その後のコンパオレ(1)〜歴史の精算がはじまる?!

(Jeune Afrique誌2937号より)


さてそのコンパオレ氏の責任。

彼ももちろん、今回の訴追の対象となっている。しかし弁護人によれば、その罪状は「大統領」たる地位に帰すものではなく、兼務していた「国防大臣たる責任」によるもの。閣議に参加し、治安出動命令を実行した罪だという。もしそうなら、コンパオレ氏の責任は一閣僚」 の範囲にとどまり、むしろその包括的責任は首相に向けられることになる。

わかるような、わからないような話。大統領任期を延命させ、そのため手段を選ばずに閣僚や高官を動かし、市民やメディアを弾圧していたのは、「大統領たる」コンパオレ氏ではなかったのか?

しかし国外に所在するコンパオレ氏は、ワガドゥグで開廷する公判には出席しない見通しだ。


反コンパオレ派は、この象徴的裁判にコンパオレ氏が参加しないことはあり得ない、と抗議を強める。今国民に必要なのは、国民の和解と再統合で、そのためには法廷で裁かなければならない、というのがその主張。不処罰のことを'impunité'という。'impunité'は次なる犯罪行為を誘発する。だから裁かれなければならないのだ。

しかし弁護側は「勝者による魔女狩り。公平性も蓋然性もない裁判」と述べる。これまで、アフリカの歴史では、政権交代ののち、権力の側が旧体制を裁くという構図がしばしば繰り返されてきた。わがコートジボワールの問題はまさにこれにあたる。

真実は明らかにされるべき。しかし真実が必ずしも和解と平和をもたらすわけではない、というのもアフリカの歴史が語っている。難しいところだ。


もとを正せば現政権にもコンパオレ政権下で甘い汁を吸ってきた権力者もいる、そんな指摘もある。クリスチャン・カボレ現大統領も、2012年までコンパオレ政権を支えた「民主主義と進歩のための議会」(CDP)党首だった。直前に寝返って裁く側にいるのはどうなのか。そんな声もある。


コンパオレの失墜により、開けられたパンドラの箱がもう一つある。それは1987年10月15日、トマ・サンカラ前大統領の暗殺だ。この事件には、クーデターで政権を奪取したコンパオレ自身も絡んでいるとされ、実際彼自身により公判はブロックされてきた。政権崩壊後の2015年に16人に対する予審がスタートし、コンパオレ氏自身と、側近の前述将校、ディエンデレ将官もここに含まれている。逝去後30周年の今年、審理の行方はサンカラ派のみならず、多くの国民に見つめられている。


国民革命をめぐる惨事の重要裁判、罪状差し違いのままの開廷、そしてコンパオレ氏の不在。しかしこのままでは、どちらの派閥にとっても満足のいく解決とはならない、との危惧も指摘される。はたして、歴史の禍根は精算に向かっているのだろうか?

(つづく)

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