明智光秀というと反逆者、三日天下、愚か者のイメージですが
実際は優秀でいい人だったようです。
信長の為に義母を殺されたり、数々の屈辱を受け、更に領地没収が追い打ちをかけ本能寺の変へと向かわせたのでしょう!
光秀の人となりを示すエピソードを二つ。
幼い頃からお互い好意を抱いてた許嫁の熙子(ひろこ)がいました。
婚礼のひと月前に疱瘡で顔にあばたができてしまいます。
醜い顔で嫁に出せないと困った父親は妹の八重を身代りにします。
光秀は怒って、私が嫁に欲しいのは醜い顔でも姉の熙子です、と。
好き合う二人は晴れて一緒になることができました。
光秀は熙子を愛おしく思い側室を持つことはなかったそうです。
そして生まれたのが玉子(後に細川忠興の妻となるガラシャ)です。
「お母様の顔がでこぼこしておかしい」と、玉子は子供心にも言ってはならないと思ってたことをつい言ってしまいます。
今まで柔和だった父光秀が顔色を変えて玉子を叱ります。
自分を生み育ててくれた母を不様だと笑う子がどこにいようか。
顔の形の美しさは害われても父は母を美しいと思っている。
母も自分の顔が醜いと卑下せず謙った思いで生きている。
謙遜ほど人間を美しくするものはない。その反対に、いくら眉目形が
整っていようと思い上ったものほど醜いものはない。
人間を見る時は、その心を見るのだ。決して顔が醜いとか、片足が短いとか、目が見えないと言って嘲ってはならない。
又身分が低いとか、貧しいなどといって、人を卑しめてはならない、
「人間の値は心にあるのだ」と諭します。
玉子は父のこの言葉を生涯忘れることはなかったと思います。
細川忠興の元に嫁いだ後、明智光秀の娘として、母や姉など家族はみんな殺されたり、苦難の末に洗礼を受けて信仰に生きるも、
波瀾万丈の生涯は38歳で悲惨な最期をとげます。
三浦綾子さんの「細川ガラシャ夫人」ですが、まれに見る美人のガラシャの生き方もさることながら、父光秀が素晴らしい人だったという
描き方が興味深く読みました。
これから秋の夜長に読まれる一冊としてお勧めします。
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