骨系or突拍男子のぶっ飛びに大勢を大けん制な文明提言丸は遥か未来に向けて中長期的に突然変異させる思想コンセプト準備塔

時代流れリベラルに流されず超流主義と創造or突然変異主義で旧パラダイムを時代転換創造する下士階級の元気気概Ideaブログ

デストピア死本国は反ユトピア。狭い思想がそれ造る。そこまで一直線でやることか改造改悪するか

2015-03-21 | 国・経世済民・教育を探求する超流日誌
流行り大勢の一見正しい方策は大抵は偏る。日編国は反日。
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このパラドクス逆説が複眼に見えぬ者こそは非科学的ではないか共産党筆頭。直線進歩暴走史観ではディストピアへ。
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ユトピア叩きは割と多いのでその逆にして観点移動。つまり創造的。
     評判いい日本。イスラム教徒が楽園視。だがここは果たしてユトピアか。平和で豊かな国。消費経済とやらの繁栄etcていど。
しかし実はかなりディストピアだったつまり反ユトピア。
      奇しくもJSミルのディストピア演説は維新の年1868年である。忘古維新世界。奇しくも黒船団は日本を暗黒化するのかと自責だった。ユトピアが江戸の全体国家に似るとは知られる。

そしてこの国。一見見えないがこの国は死の国であるこれこそ本当のデストピア。一見ユトピアのようでと言うのが条件。正に最もデストピアの模範生。

この国は非常に忙しく不機嫌そうにさせられてる死人のような顔の風景が行きかう。他国とは大分違う。苦行の余りに行き過ぎた国。風土風圧もあるとしても、それでも昔はのんびりだったと言う観察あるしな。風土のせいだけではないだろう。
顔が暗い死人、そしてその反動での異常陽気盛り上がり会話やコロコロ生産消費サイクル分裂病。音楽的か議論的かしかない。勉強あっても探求なし。
生産か消費しかない画一硬直構造。融合なし。
       更に自殺に冤罪集団抹殺人に。こういう報道を自粛規制するマスコミ。報道しない。面白おかしくないから。実にカルト国。死を見過ごすデストピア。一般国民はそうでもない。
     そう言えば「自殺・・。あー(と野暮だなと呆れ顔になる唖然)。自殺とかそう言う議論は小学生でもできるし、もっと高度な面白いギロンをしなくちゃ、そういうのは当たり前すぎる」笑。ドイツのメルケルじゃないが確かに「当たり前」が怖いな笑。これが西洋レジームのこの国だ。知の支配。

無感覚の奴らは放っておいて以下にこの国のツボを。
      これすら今更だが過労死カローシ。外来語?。いな。自殺も多い。Net難民も。だがのんびり江戸だった国では、にも言わば存在権が一応あった節があるそう言う人間主義思想、現代の資本主義では本音は人間生命蔑視。生存権競走に敗れれば底辺では路上で殺される場合もある、つまり近代勤勉思想で「働かざる者は殺せ」の先住民ホロコーストしたアメリカニズム、スターリニズム。正に現代は自由による帝政であるamericanize。黒船団がこの国を暗黒へ導くのかと自責だったというから言うことなし。正にデススター改造時代らしい。現世改善いな改造のキリスト教進歩史観。
         
        現に更にそして最も陰湿で極め付け陰惨の穢土時代の象徴がある。昔なら少し前なら男女の積極的潤滑油だったことの些細な理由での冤罪抹殺殺人がある、ごく些細な理由で。更に驚くことにそれでも何と多くがマスコミも殆ど見て見ぬふりしているのである報道せずに抹殺放置・・誰も知らずに一人ずつ社会抹殺に消されてる風景(まるでリメイク中の2300年未来への旅のような。つまり知らないうちに抹殺されてる人々がいる)。。しかも片方の性限定男性限定の不条理。これほどの陰湿、デストピアの象徴に非ずして何ぞや!!。
男性限定の死。更にここで。
       因みに自殺問題さえ例えば前の朝日新聞社説は翻訳すれば「男の自殺はどうしようもない。だけど女の自殺は救えば少ないから大分効果があるってaペテン政府も言っている。女の自殺はちゃんと考えて対策しよう。樹海で慰安婦のナリで癒やす励ますのは嫌だし。そこまで男性に底辺性に貢献したくない。雄大に広く社会を考えたくない狭くていい。短く手直にやりたい」。しかし性エナジー蘇れば自殺もブレーキになるだろうな。寧ろ自殺対策慰安婦とすれば効果あり意義深いだろう。底辺性への治癒と掬いこそ社会安定の基本である。
       しかし一面的なフェミズム主義の洗脳と改革で改造された国ゆえの冤罪自殺。考えてみれば殆どカルト教団の国である(デストピア小説の先駆のタイムマシンでは人が死ぬのが平気で見過ごされる。恐らく人間の物心もろさという記憶が忘れられてるのだろう。物語が大理想をサボるとこうなる)。で冤罪は「そう言う理由ならしょうがないよね」と諦めている下僕と否それで居直るフェミラー。そして人間の生命としての誇りがない草食的。
女人権>生命は正にカルト教の思想フェミズム。反生命の冷たい月本国。
       
       そして異性他性を植民地人のように下位に犠牲にしての贅沢要求な不必要な消費経済。数字が戦時中景気経済のようにどんどん弾きだせるからと図に乗って、日本人男性がお上に従順なのをいいことに平気で性差別をやるんだそうだ。更に正義?理想?の朝日新聞は女だから当然定着したと、映画館の発言を捻じ曲げ誇張報道。実に慰安婦構造的。道義も社会意識も大人意識もかけらも何もなし新聞も。Weber資本主義以前の幼稚経済。反社会的。社会錯誤。部分化。
        あと些細な犯罪を理由にして平気で人種隔離政策の国策。浅慮占領車両のジェンダーアパルトヘイト。アパルトヘイトの芽である。Israel化。男性は死んでる。

異常に女権女尊にして電車や映画館をそびえさせてIsrael化の特権階層化。カルトの国。不満を増幅。まるで読売米国の中東家庭戦略、片方に肩入れしてもう片方にこつかせる。ゆえNetでも男女争い。フェミラーが笑う。

戻りここはディストピア。そしてデストピア。ユトピアのようでと言う意味では近いそれもかなり。そう認識が一歩。これで大分違う。
     本名はオンナ真理教の国。カルト国。別名aペテン国。ちょうど奇しくも日本と叫びつつ実は西洋化を進めるaペテン政権である今は。
       キリシタンの楽園。女レデースファシズムの楽園。狭い。対岸を消去の輝き自己中傍若無人。この楽園はディストピア。更にデストピアである。実は生命軽視の本音。

それ思えば、底辺人が働けと殺されずにの存在権が一応あり痴漢が正義漢とされ勇気とされる江戸、片や女の過剰人権で些細な理由で抹殺される更に底辺人が働けと殺される東京時代。いずれが全体的に人間主義であろうか。黒船団の強要の自責は当たっていたのだ。
(そう言えば嫌がらせ弁当とか美談で嫌がらせと言う言葉をマスコミュニズムは面白おかしく流行らせばら撒いてるが、てことはフェミら-の言いだした所謂性的嫌がらせも、空気を肥大して驕り高ぶる女上位時代への反逆とも言えるのではないか。言うならこういうことについても言わなければ公正でない)。

ユートピアを幻想道標に、キリスト教世界は現世改善を進めたが。実は現世改造だった・・に急き立て直線行動暴走史観。

戻りそれすら通り越して。
       要は最近にどうやらとんでもない国に改造されたものだ日本国は冷たい月本国。種々の改革によって悪化。
こう見るとデストピアは遠い国ではないすぐそこにある国である。狭いユトピアは逆ユトピアである。キリスト教の狭い主観の楽園は、南朝の悪しき面を彷彿させる。反武士道。底辺性を考えない。
       奇しくも丁度これら政策の一連は確か、男女共同参画法とやら美名のフェミ法が出来たころである。

安直な自称正義の改革が暗転反転するパラドクス。出発点が狭いと複眼でないと容易にこうなる。これがデストピア。複眼の科学思考なし。単純な共産党的。やはりマスコミュニズム社会。

丁度いい。馬鹿男叩きと自称する女2chがそれこそもっと馬鹿女のような主張になってるのもある意味でこのパラドクスだな笑。正義とやら(と言ってもただの悪口だが)が反転してデストピアとなる。複眼で見て見ろ。確かにあの場は眼を覆う修羅場である。
       あとな、多くの男性の2chは遥かに公正に全うに論理的に冷静に男性差別を論じている、少なくとも進歩がある。上記バカ女とは違う。一応事実を言っておく。反対運動は非常に思慮深い理想主義である大義あり。思考がより広く上に近い。現状追随賛成派は思慮足らずだ。幼稚い。
馬鹿女らは「白昼公然」性差別風景に加担しておいて何を逆切れしておるかー!!。優遇は同時に差別となる、広く見れば。だから人間は難しい。安直直線政策は戒めるのが知恵。両面複眼で広く見れぬこそ馬鹿な心狭い思考。
        とにかく男女差別の差と言うよりさ、そのジェンダーアパルトヘイト差別が公然にいいことのように扇動まかり通ってることを男は怒ってるのである。女への差別は少なくとも絶対悪のようにさんざマスコミュニズムに異常扇動されてる。その全くの逆扇動の落差のどの面の皮下げてかを男性は怒ってるのだ。自分らこそバカ女らは、そこを分かっていない・・見えてない。確かにバカのようである。通念を鵜呑みに乗っかてるのだ。常識ジョーシキを疑えとは人間が考える時の基本イロハだ。幼稚園児!。
      あと俗論それこそ、この誹謗バカ女らはその言うマスゴミを鵜呑みにしてるが、一部は置いてこの国は実は女権国である本当は。彼らはよーくその断面を突いてる。当のフェミの言葉で言えばそれを男に賢く気づかれるのが怖いから、他の男性らを叩いて誤魔化してるのだこいつらこそバカ女らは。屁にもならぬページだ。フェミ以下。
(そも現代を飛ばして過去とやらに後ろ向きに飛んでそれを強要負い目の口実にして、暴力政策を強要罪するとすれば正にIsrael的暴力思考だな。人道上、許されない)。
      しかし大河八重ですら、勉強義務しなくていい自由な女子という暗示場面あり。そう言う見方は増えだしてる。近代勤勉価値で全てとは見れない。男子はその代りそう自由でなかったのだ。
       そう言えば言ってたぞフェミ加担の男性教授が。敷衍。両面見れないでは表面的で貧しくなるとな。
そしてその冷静な教授にすら今こそ反論すれば、フェミズムは初めから両面見ずに対象改造意図の傲慢で一直線で進める思想だからどんどんつん前のめり先細りに心が狭くなるのである、自分頭を信仰するから大きな原点を神を忘れる無神論一直線。(遥か前に思い付いた我が理論の歴軸で言える)。
        あるいは100譲ってその広さとやらは、相手を説得して「自軍」に引き込む政治主義あるいは、気に入らぬ憎むヘイトする古い人種を滅ぼす狭い悪意下心がある故に、さして伸びない理論になってるのである。その理論とやらは。図星。
因みに説得力神話はある女性哲学者が書いていた。確か、所詮は説得力とは自陣に引き込もうとする作為の歪みのある目線であると。そう絶対ではない。つまり政治動物ってことだろう。Sein尊重でないのだ。


戻りデストピア。死の国。直線の安直正義による。
        この似本国の月本国の特徴は、こういう占領車両に見るように人間の情を理想を忘れ理知的にそこまで突き詰めてやることである。要はそこまでやることかなと言うことを平気でやる唖然。自分の利害リゾウの為にはとことん猪突盲信猛進の国策政策の一直線なのである。
直線である。ゆえ一面である、貧しい発想。こうすれば良くなる自分に私らだけにとって良い快適社会になると信仰。唖然とする身勝手エゴ時代。キリシタン的な狭い楽園。雄大に広がらない。

妙なデストピアになってるのはキリスト教直線進歩史観の西洋レジーム的思考法のゆえである。
以下。再度。
[西洋レジーム穢土脱却で日本浄土(混浴共生文明等)底辺性救えイエヤス流。aペテンは総合理想ない部理]より抜粋。
鎌倉に鳩がいたと事実を歌っただけのこの外人俳句がおかしいのは、具体的な末端細分化の場だけだからだ、その向こうの深奥の抽象本質がないからだ。つまりそれは部分的思考の具体的思考である。先に申した表面末端の具体的な現象部分だけ見る目線view(多くがこれに流されてる。ゆえに原点の全体責務を忘れてどんどん暴走する。部分の専門で事足れりとする)の科学思考の非芸術ゆえ。部分を超えた抽象原理を本を言わば神を見ない、ゆえこの俳句は何とそのまま部分な一面なことをわざわざ言葉にして提示するのかという感想になる。Art芸術立国Hegel国にならない。マスコミュニズムはまるでこの駄作俳句のような風景である。確かに万事を西洋レジーム構造で進めてるから当然ではあるが。ゆえ安直な正義をばら撒く。
      奥を深遠を見ない西洋、つまりそこへ貫く根気がないのだ歴史的根性が。安易安直に「考え」て、そして次は思考停止して、後はただ単純に一直線に「実践」する・・そういう一見申し分ない便利な西洋Marx的な理想リゾウ追求。そのシステムJorunalistic自体が破綻している段階。直線直球思考は国家品格でも批判あり。要はどんどん論理を進んでいくと原点たる理想情を忘れ、進歩史観で本を忘れると言う危険。実にSimple。忘本の複雑系。部品ではあるが。三島の警鐘。

要するに人間は個人の頭を理性で過信してたら根本を大事を歴史をそのうち忘れると言うことである。それがデストピアを製造する。進歩史観の死角。
      ゆえここが肝要、常に全体と言う神を超人的を意識しなければならないのである(近代はこれを忘れた)。苦しくとも音楽でなくとも。その後に真のユトピアと言う全うな成長過程がある。Obama演説でもあろう。

最近の国体論の再現本でも指摘あり。左の席は人間を頭いいと完全信用した楽観的、右の席は人間の頭をあまり信じなかった深慮。有名な、右保守の定義である・・。
「僕は私は優秀だ頭がいい。だからどんどん改革する」。こういう盲信は善良人でも問題だろう、ましてああいう少し歪んだ人物なら一層。国も世も歪む。

戻りデストピア。ディストピア関連作品を調べたら。どこか遠くの極端の国に描いてる例が多い。もちろん面白くする為にだろうが。だが最も実践的には、あっちでなく俺の言うちょっちの世界が、最近世界がどうもデストピア的に推移。それは科学パラドクス逆説まで視野が広くない狭い単眼実践ゆえの結果惨状と見れば、おおいにディストピア思想は生かせる。どっかの世界でなく正に今現代の月本国である。
        あるいはこのままキリスト教直線進歩史観の楽観至上主義暴走では、間違いなく目下のように、ユトピアでなくディストピアになるという警鐘認識の一歩でもある。デストピアにでデイストピアが重なる二重構造。この国は相当に深い海淵。
     以上、久々の骨系男子の実践的実用的提言でした。

フロク集。

追加フロク。あるフェミズム批判ブログで知ったが、何でもリテラシーバカというか何でも分析思考と言うか、ファンタジーリテラシーと言う妙な用語があるそうだ。これは要は現実性の女が男性性を悪く印象操作する為に作り出された造語だろう。寧ろ現代では現実適応力よりも理想創造能力こそ現実の夢化能力こそ極めて貴重である。
そしてフェミらー女がよくその臭いを出す、小義なリゾウ利増は排されていくべきである。人間が小粒化する。そのくせ鼠のような真進化探求心ハングリーはないと言う最悪の人種となる。公害の量産。

追加フロク。朝日新聞のフォーラム投票は非自由だなつまり反創造、Netと全然違う。
格差とはこういうテーマですよこういう風に思考しましょうね笑(男は男性としては参加できない市民としてしか。ここでも選択肢一つ。メデア呼吸権がないこれこそ男女格差だろが)。戦後レジーム小学校か!!笑。

ついでのフロク。書きそびれ火曜試写室でも夫の金しか興味ないクズ女芸能人。それは理想ではない(ある女性論者に言うには何たる身勝手。理想と呼ぶのもおこがましいとなるだろう)。自己の利益のリゾウ利増だ。笑止千万。父親に料理ネタをちゃっかりさせるパタン。本当に異なる存在を認めないエセ日新聞マスコミュニズム。独創と言う重要な言葉をそう言う所に使うな。情けない体たらく風景だ。骨と気概のある日本伝統流の独創国家の回帰は遠い。エセ日マスコミュニズムの罪は計り知れない。
         朝日水曜TV欄の唖然。最終話まで夫誹謗嘲笑の「クズテレビ(なまり御免)」放送のドラマを載せる執拗なマンヘイトのえせひ新聞の異常。それこそ片田珠美の広告本で言う、攻撃せずにおれない人たちだ自己中妻。異なる意見を聞かずに自分らは絶対正しいと思い込む故に聞かない(投票フォーラムで見るように女子班もだな)。
自分要求を絶対全部通す自分の事しか考えない自己中妻。これが女と言う性だと言う見方もある。女は性悪。妥協しないゆえにフェミ的洗脳女子も戦争争いをする。軍人が実は妥協的で平和的だった有名な逆説も政治学の指摘でもある。武士は底辺性ゆえに貴族以上に逆に理想国が分かるのだろう。これで朝日の根底を否定。これからの時代はこれが肝要に尽きる。

追加フロク。片田珠美の「他人意見聞かない人」は正に朝日の女子班に当てはまるわな。つまり問題点を指摘する他人の意見に耳を傾けず、同じ意見を持った者同士、仲良しグループだけで意見を交換して、それ以外の異なる意見を受け入れようとしない傾向が増している。実に昨今のフェミらの女子らの閉鎖性は正にこれではないか。
朝日の格差投票フォーラム男女欄も朝日が設定したラインとの仲良しだけ同意見者だけを集めようとしてるとしか見えない。殆ど幼稚で犯罪的と言える。ましてマスコミと言う公器である。
著者に敷衍すれば、思うに自らの器を大きく他者異論にまで広げていくと言う雄大な向上努力が欠けてるのではないか戦後国は。朝日女子班筆頭。個人主義完結閉鎖性が増殖してるのだ。これが紛争火種となっていく。本来の意味の全体主義の必要ゆえん。

ついでのフロク。木曜朝日新聞で何と明日を読むで小熊英二がNet右派をNet右翼と卑劣な印象操作。先ず冤罪的だな。事実を言うがNet右派いなNet保守層は非常に冷静に骨ある議論をしている、小熊の言うことは事実に反している。愛国女子本も書いてるように2chでさえそうだ。どういう層を言ってるのかこの左派に所属する教授は。そこれこそ朝日は小熊は心が弱いゆえに右派の相応の正当性のある、戦後体制へ批判の問題点を受け入れないのだろう正にそれでは明日を探れないな(そもいじめは朝日の常套手段と言う。炯眼保守論者は多かれ少なかれ朝日の陰湿ないじめを経験とも言う)。。正にある本で言う他人の意見を聞かない朝日派だ。こういう卑怯への対処法には原則、卑怯な誹謗中傷侮辱罪で返さずに(それやると朝日と同類になるしの)事実を述べるだけで十分。何もNetだけでなく朝日的なものへの反感はリアルでも意外と根強い。保守化はしていると言えるだろう。それを薄々感じて朝日はNet右翼だーと拡大解釈することで守旧してるのだ。小熊朝日の右派へのヘイトスピーチと言えるだろう自己矛盾。まあその言う「敵」を見下すなめる朝日は非武士道的左翼となり伸びないだろうな。それこそ明日は探れない。この左派教授はそれこそ日本国に己のアンフェア卑怯を晒しただけのことだ。左右問わずあれはやったらいかんだろうとなるだろう。左派学者にとっては右派は人間じゃないからなある意味定番パタンだ。

追加フロクは朝日新聞の外国人介護者記事は蔭西晴子。介護のこういう時は男子が主役か。この新聞はさんざ女女女と扇動しておいて、ありゃりゃりゃコロッと今度は男性に振る持っていくのかあ。自己中朝日のフェミ新聞。心の底から軽蔑する。やはり指摘されても聞かない例の片田珠美の本だ。正しくないくせに自分が正しいと思いこんでる人種。それ思えば朝日新聞がえせひ新聞がここぞとばかりに唐突にNet右翼を徹底的に貶める、卑劣な右派侮辱罪の事実捻じ曲げを載せたのは正しく人間性を疑わしめる。自分らの身勝手自己中我儘をそらして「右翼」の方がこんなに悪いとイメージ化する為に載せたのだ(事実はこれに反する。Net保守層は朝日も反論できないぐらいに緻密な重厚な論を展開している。小熊英二は頭と心が足りないのだろう。そしてそう言う匿名大量で卑劣な世論操作をするフェミストが割と多い事も事実として付け加えておく)。多くの指摘だが正しく卑怯な新聞である。

追加は赤旗でテレビ論。Netを出来るだけ悪と印象操作従ってるトーン。何が正しい情報かという問いはとっくにポピュラーである何が正しいかなど言えない相対的。それでいて良質のドキュやドラマと言うパタンに逃げる。そう来るなら一層にNetの思慮が重要になって来る。テレビ筆頭マスコミには共産党もお好きなイデオロギーが背後にある。そう見る方が遥かに自然な偏重。マスコミュニズムはリベラルが基底。変化流行が全て。だから戦争への変貌にも嬉々として流されたのだろう。
思うにリテラシーすればNet基底が日本回帰層が多いことに共産党としては脅威を感じてるのだろう。Netは壮大である。壮大では絶対にTVは叶わない。思慮もな。
TVは具体面に強いだけ。即物的。つまり経済等で構造として戦争流され的。距離置くにこしたことなし。ThomasHobbes家康流。

追加は水曜赤旗。この上にまだ輝きたいと抜け駆け願望を扇動。男性の長期労働なくさずして私たち女性「だけ」が輝くことはありませんと唖然の筆致。これも男性の長期労働の憂慮と言うよりも自分らの利益の為と言う私利私欲の感ありあり。全体見てない利害的なリゾウの理屈は世界大人数と言う程にまでさほど共感されてないだろう。

追加フロクは赤旗の慰安婦展示でもめた記事。確かに大通り廊下にまで慰安婦展それも中学生にこれじゃセクハラである。二分論争ある性的ネタを強制洗脳教育。知る権利なんて書いてるが子供からすれば無理矢理に自虐を知らされる強制義務ではないかそれこそ左派の嫌う押しつけだ。

追加は朝日ハフィポスト。公正の為に言えばRapistが意外と飢えた社会弱者も多いという米国の研究報告もある。さすがに思考の自由の国。全てを一端は尊重する大きさがある(ハフィポストは政治等では時々異なる観点意表をするくせに、こういう分野は完全に立ち遅れてリベラル守旧化している。知的劣化の傾向)。。それにマドンナは何と男性を暴力と奴隷化するPVも製造している(一瞬流したイヌHK。表現権力の横暴をさんざしておいて)。それじゃ同じじゃん。正にイスラム国的な復讐法。ヘイト憎しみは何ちゃあ生まぬと言う龍馬伝の名台詞あり。八重桜でもこれ以上争いは続けてはならねえと山本覚馬の明言あり。

追加は朝日Ronzaは変化を強調パタンのリベラル派の非創造性。ゆえ猪突猛進変化の進歩史観暴走から踏みとどまる一貫性への勇気はもっと重要。ダーウィンと馬が合う国民性は流行便乗と言う歴史の過ちを繰り返す恐れがある。

追加フロク(何と)は報道ステションサンデーは浅田次郎氏の日本論。
戦後70年で伝えたいこと。強調は和がないと。しかし・・ありゃりゃりゃ本題からすり替わって嫌がる事と女言葉とか迷惑とか。サンプロでもあった冤罪弊害も生んでるセクハラ概念欠陥思想を今更に、この戦後70年に伝言とすれば余りに「陳腐」で不甲斐ないすり替えではないか。現代は未来はもっと広い大きな思想が必要である。狭い地球江戸に共存なら少々のことでギスギスしない大和心も同時に必要である。フェミストの製造したコンクリートに媚びる和など偽の和だ俗論の安易な判断だ。
それに満員電車のように狭ければ余計に女は挑発性服で全体の調和を個人主義PRで乱してはいかんだろう。男にだけ厳しい和は現代戦後の月本国のようにただの女原理の圧政抑圧だ。空気破りKYは日本限界を打破するために必要。
ま不自然強調。和とは嫌がることしない迷惑かけない。あの話に自動的に持ってくリベラルパタンか。しかし大和心の定義はその純心ゆえに少々の悪も浄化される形。江戸時代の正義漢あんなやるかとの目線は日本察し文化でもあるが同時にそう言う外れ者も尊重する大らか複眼思考だろう。正に阿呆も存在出来たという大らか江戸時代。それこそ個人主義を信仰する過剰人権意識が同時に他性にギスギス迷惑になってるのである。和を現代リベラルに媚びるように濫用してはいけない(調和がないのは西洋服の方だろう。挑発罪による和乱しはどうなんだ)。幸福党の和の憲法は若干、勇み足的である。和も絶対ではない。聖徳太子天皇自身がそれを超えたと言う。

追加は朝日新聞デカデカ米大統領夫人記事に反論は、男女の道はそれぞれ一本道の権利こそ共存共生の対等平等公正ではないか。時代遅れでなく時代が狂ってるのだ(時代遅れでも優れた思想はある。要は人間錯誤しない観点から見て身勝手エゴか全うかである。フェミストはエゴイストと知られる。そういう情報は伝えないイルミナテイ下の新聞)。。時代ファシズムを超えるべき。それに抑圧と来れば自動的に女とするのもジェンダーバイアス偏重のフェミズム思想。男も抑圧は一層である。抑圧のない積極的平和はは男女とも出なければならない。
あと「べき論」は暴力と言う認識があると思うが。べき論は否定する人が多い。つまり目的革命改革主義。女だけ特別聖域ではそれこそ性差別。朝日的な通念はやはりどう考えてもおかしい。
更に子孫と言う言い方にどうにも今までの流れから見て明らかに女権母権優越人種優越特権化の下心ナチス的思想が伺えるな。ゆえこういうフェミ的立場は俺は先ず疑って見る。これが政治リテラシーの基本。メデアリテラシーは皆するが政治リテラシーはない朝日。輝く国を無条件に鵜呑みにしている。俗論鵜呑みの大衆b層。
そも女は成功が目的なのか?。この国を何も知らぬのだろう。この国では男子は当初は全体の武士道的な大義の為に国家の為にまい進した。女子の場合は出発点で自分の為の私の為とかエゴ臭いが混ざってる。一緒にするとは図々しい。こういう時にはニヤニヤする女の顔が浮かぶようである。不純は国を世界を汚す。美しくない。

追加は朝日新聞の耕論。適応を超える勇気論。敷衍すれば。正に世界画一化の産業社会主義化でない貨幣化や市場化でない、豊かな土壌のある国土こそと言えるだろう。軍事適応そして戦後は経済適応そのMarxフェミズム主義の暴走風景、こういう画一化平面座標を超えるべきである。

追加フロクは週刊ポスト。面白おかしく決戦デカデカとお家騒動を野次馬してるが。女社長を何とあの自己中のかぐや姫とヨイショと長男従順で左翼改革的でないと印象操作(下剋上革命をしなかった武将が逆に日本の光を後世に残せたけどな。時代変わっても変わらないだろうこれは。それが投じられて以後の風景)。長男追放とかリベラル雑誌の大好きな男卑女尊の魔神狩り扇動の下心がありあり見え見え過ぎ。正に見世物戦争に流された流行変化至上主義のリベラル思想の機構が戦争を支持し易い原理ってのも分かる。他雑誌で歴史作家の言う「戦争は楽しい祭りイベントだったそれが日本人」を見事に証明した週刊ポスト。それでもジャーナリズムか。その手のリべラル基調色を出す奴らは先ず否定することにしている。そう言う段階。時代は変わりつつある。
日本色を出させパタンで非常に不自然なヨイショしてるが、伝統文化よりも創造文化ゾーンで(といっても企業は所詮はゲマインシャフトの枠内だが)いかに日本流を改革戦争でない雰囲気を出せるかで決まるのではないかこれからは。ドラッカーが正義公正が次に時代の原理と言うなら日本はどうする、その先は。改革リベラル小泉children主義でいいのか。欧州輸入の思想だけでいいのか。確かに時代は本当の意味で変わらねばならない。
(しかしポストが余りに白こくも前に、安倍政権でも部分的には賛成と言う人はいる筈である・・部分的に賛成の人はいる筈である・・これをもう一度繰り返し・・。これは一体何のこと言ってんだろう。家族の復権と言う全うな理想論か道徳教育という至極当然の政策か?。日本の主体性の外交のことか。リベラル雑誌が珍しいな。いや・・もしや同出版社の情けない反逆が言った、もろ手を挙げて賛成政策のレデースファシズムのことか?。それっておいしい所は安倍を支持する自己中ではないのか自己中大衆。まるで朝日の姿勢)。
改革お家騒動に戻り。お決まりリベラルトーンは日本国民の心を寒々させてるのだ。全てのリベラルマスコミュニズム争い扇動の罪は計り知れず重い。

追加フロク。週刊朝日でも大塚家具御家騒動。娘社長の傲慢は「じゃ解任しなさい」だと。娘の立場で何様なのか(現に自分が会社を独占操りたいだけの都合とある)。そういう理知的な才だけの徳なし人種は共鳴共感しないな。そう言う人種こそは旧い。普通は相当に遠慮する日本の会長ヘッドがああまで言ってる。上記セリフ思えばこれも女の自己中風景に見えてくるそう穿つ方が最早自然。

ついでのフロク。
政府広報をここぞとばかりに出すえせひ新聞。多くの指摘の輝く国は本当にファシズムのオンナ真理教だな。カルト国そのものだ。あの幼稚いワンフレ聞いてまともな大人の人間なら失笑したくなるだろう。そのぐらい大人げない(女は幼稚くても甘やかされる。美しくない国へ。どこまで醜く幼稚に退化していくか見ものである笑)。権力あれば何でもできます涼しい顔のどこの馬の骨の豚の下僕aペテン。その権力が本当に最高権力なら少しは様になるがな笑。見るからに週刊ポストの言う従順な長男って感じだな下僕。女媚びの大衆迎合の新世界迎合では少なくとも将軍系男子ではない。皆になめられる。それが米国発の民主主義。情けない体たらく。独創国家は遠い。

フロク。朝日新聞試写室の紅白。そうか戦争を見据えて協力してコロッと反省して、戦後は「今度は」男女戦争に男への女の平等戦争に加担か(男女戦争は争いは人類が発明した最も野蛮。Hollywoo奴隷的。その源流思想が問題)。今度は女権国を見据えてなんかまた悪だくみか。女子会歌とかあったな。戦後の輸入思想を大前提の植民地根性の恥さらし。戦前と戦後の誤魔化し欺瞞は指摘されて久しい。ついでに戦争「も」考えるんだそうだ。居直り確信犯リベラル派閥の偽善。この朝日記者は天下に己の馬鹿を晒しただけの西洋式分断思考。
まあ確信犯の朝日的捻じ曲げのようである、これも慰安婦的だ映画方面で言ったようにな。歌よりも男か女かに執拗にこだわる唖然。歌はどうでもいい。朝日の目的革命改革イデオロギーさえばら撒ければ自己中満足のえせひ新聞。偽日新聞。
そも西洋殖民帝国をあともう少しで倒しかけた世界屈指の気概の日本男児を恐れヘイトする下心のある、コミュニズム平等主義の自称男女平等思想。人間錯誤。実は男女平等は男卑女尊意図だったことがはっきりしている。要求はそこで止まらず男性を否定する思想まで暴走する計画だったのだ。天下明白の真相。通念鵜呑みの大衆b層は記者も含まれるのだ。
しかし占領軍コミュニズム偏重政策に単に鵜呑み便乗しておいて「(翻訳)さあ日本国民に告ぐ。全く新しい新年です。我々は民主主義の先駆だ」と威張る所が笑える情けない痛い。本気でああ思ったのかなあ。民主主義信仰。何でも思ったこと議論すればいいってもんじゃない。その前に歴史の重さがある。アングロサクソン個人主義Childrenは卒業せよ。
           見るとドラマはいちおう建前はまともなフリだが。しかしやはり直感通り女の男性への平等化戦争が発端の紅白らしい(そう言えばHollywoo奴隷で、訓練した女奴隷剣士を男性にぶつけさせ最後に串刺しに殺す場面を平気で放送したUHFテレビ。T低次元ヴィジョン。マスコミュニズムは犯罪集団であると証明。正にオンナ真理教のカルト国の風景。こういう男性憎しマンヘイトが戦後に注入されて、正に報道サンデー浅田次郎が言った和が破壊された。和を破壊したのは戦後女である!!。女は外国にヘイト麻薬を飲まされたのだ。ドラマ場面に出てきた子供女子にまで。ここで井上ひさし流には一見しょうもないことを大真面目に。そしてくそまじめな大手テーマを風刺せよ)。その言う愛嬌があれば女も男のライバルとは言わぬだろう。平等要求権利戦争でこれ七人以上に男の敵を増やすということらしい。これでは日本国民は一層それこそ癒されない。。しかもその平等化戦争を日本文武分裂の武の暴走で正当化する周到さの腹黒。音楽やスポーツを虎の威に着れば黙るとでも思ったかファシズム的思考の風土の4S政策。日本的暴力は八重桜でも自白していた(女が男をこかす所を執拗に。自己中フェミ脚本家山本むつみ。フェミ題材で気負ったから大コケた。再度イヌHK筆頭は犯罪集団。暴力革命集団)。アトムすら自己矛盾米国で批判されたのである。

ついでのついでのフロク。神埜明美?とか傲慢PN小説に相棒はM刑事。絶対に男卑女尊本しか載せないマスコミュニズム絶対主義。女の横暴だけは黙認。表現権力の横暴。男のSな同じことは何らかで妨害するのだろうあるいは大ぴらに宣伝しない。男卑女尊国以外の何物でもない(この自己中女小説女作者は一線を超えてる。女による男性へのセクハラだ)(蹴るって殺人未遂を連想させるわな。刑事がだぜ。女の場合は作家含めて正義公正度をだいぶ割り引くことにしよう。DVならぬFVも散見の風景、女の蹴るは即殺人未遂意図と繋げる厳しい目線が必要である)。骨系男子はそういう風景を女限定にだけメデア呼吸させる性差別カルト国とオンナ真理教の国と定義した、空気権力と社会権力。まだHollywoodは骨があり公開映画でS男M女の作品が二つある。

追加は週刊文春のクロ現代。自由社会の基本の蹂躙の例。そのクロup現代は「男は女に殺されてる。それ本番で絶対言わないで下さい」検閲の前科。フェミストがしゃしゃり出てくると歪むのがマスコミと証明されて久しい。

フロクは先週のドイツ版の朝日。
武士の献立てだの武士の全体を投じない映画が多そうだな今どきって。分割部分化の西洋レジ-ム。武士の本質を捻じ曲げてる。本来は武士とは精神であり理想主義で全体への自己犠牲である。もっと壮大なものだ。夢風特攻隊。
今どきエセ時代に批判的でないと武士の狂気は継承されない。
ま真実はいつでも大勢の中の光とはそれこそ歴史の法則だ。時代迎合に未来なし!。

追加。朝日新聞は性的少数と一面で取り上げつつRonzaで過剰なまでに男女に都合いい時はこだわる自己矛盾。

フロクは大河。どうやら「マンヘイトの本性現したぞー花大河」。男子だけ顔と言いたげ自己中(あべこべだろ)。確かにこの作家が面白くないゆえに面白くない大河は清盛以下視聴率は当然。指さす侮辱罪、大人じゃない姉。男卑はあって女卑はなしの自己中。

フロク。断捨離とかいうどう見てもキツイ乱暴な変な言葉をばら撒いて夫が殺される風潮までを扇動した?に等しい(いや最初から企んでたかもしれない確信犯)やましたひでこ「めんどうくさいをやめました」本広告。一言。人生人生と声高に叫んでる時点でエゴイズム。それに口癖まで介入するとはどう考えてもファシスト思考そう言う顔してる。このおばはんは当初より胡散臭いと思ってた。言葉は片付けとは違う。唯物論では測れない。実に貧しい発想。何でも自分の専門分野で広げれると己惚れ過信してるのだろう。これも左翼的と言える笑。

追加は水曜朝日のハフィの震災記事の不自然。自虐史観に絡めてるのかな。それ言うなら個人主義や私小説主義ではエゴイズムになるとか、全体背負う光を懸命に体を張って繋ぐ行動原理の苦悩なくしては意味がないと言うべき。美化も浄化になる故に重要。何か創造的試みをすぐ下衆的に批評否定思考することこそは意味がない(朝日系には耳痛いだろう。しかしハフィは古市か!。ある意味で今どき的)。
苦悩を経て普遍的に到達している人間は必ずどこかにいるものだ。石原氏の言葉ではエゴが突破されて普遍に到達これこそ深奥のCommonSense共通項。その人に都合いいことが本来の多く全体論に都合いいこともある。要は派閥対立戦争に囚われなければいいのだ。雄大に広くあれ。否定批評せずに。

しかしついでのフロク。言いたかないが週刊新潮はセクハラだなあの記事。卑劣な印象操作。右から左まで一色に男卑についてだけは一枚岩画一のマスコミュニズム、こいつらカルト教団。品格を壊し文化破壊の雰囲気空気を製造する本当の別の目的下心意図ありありのネオマルクシズム土壌だ。性根が腐ってる。別の一神教に取り代えねば日本が歪む。










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