『ありがとう』と言われたらどう返すか。
これは今までもテーマにしてきたことだった。
※ 参考記事はこちら ※
『「どういたしまして」って言いますか?』
http://ameblo.jp/kotoba-com/entry-11530621845.html
『やっぱり言ってない「どういたしまして」』
http://ameblo.jp/kotoba-com/entry-11945534674.html
これは日本語の、日本人のテーマのひとつだな
と思い、常に気にかけていることのひとつだ。
こんな話を耳にした。
「電車で席を譲ってもらった時ね。今までは『すみません』と言っていたんだけど、最近は『ありがとう』と言うように心がけている」
これはとてもいい心がけだ。
誰かに何かを譲ってもらったとき
エレベーターの開ボタンを押してもらっているとき
手を貸してもらったとき
荷物を持ってもらったとき
支えてもらったとき…
私も普段から『すみません』ではなく『ありがとう』を使う。
『ありがとう』は、言った側も言われた側も、気持ちがよくなる言葉だ。
以前、こういったシチュエーションで「すみません」と言った母親に対して
「なんで『すみません』って言うの?」
と訊ねている3~4歳の女の子がいた。
「あ、そうだよね。『ありがとう』って言わなきゃおかしいんだよね」
娘に言われ、そう答えたお母さん。
あの会話の流れからして、今までも娘さんに何度となく示唆されてきたことだったのだろう。
本質的なことは、子どもの方がシンプルに掴んでいることは多い。
さて。
実は、電車で席を譲ってもらった時の話には続きがあった。
「もしあなたが譲る側だったとして、『ありがとう』と言われたら何と答えますか?」
うん。
ここが私も、テーマだと思っている。
日本人は “言葉にしなくても伝わる” みたいなところがある。
だから例えば黙礼したり目礼したりするのもひとつ。
「『どうも』と言う」という方もいらした。
私だったら…「いいえー」なんて言いいそうだな…と思った。
すると、このテーマを投げかけた方が仰った。
「『My pleasure.』がね、いい言葉だと思うんだ。
でも日本語にはそれに当たる言葉がないよね」
ああ…それ。
私もまったく同じことを思ったことがある。
お互いに『ありがとう』の気持ちがある状況のときなら、私は『こちらこそ』を使う。
でもこの事例のように、席を譲った際に『こちらこそ』ではおかしい。
かといって『お役に立てて光栄です』なんて言ってしまうと大袈裟だしね。
母国語以外の言語の感覚に触れた時、私たちは自分の言葉に “それに相当するもの” が存在していないことに気づく。
それはつまり、内側にいるだけでは気づけない感覚。
自分のテリトリーの外に出て初めて気づく、自分の内側の感覚だ。
これは言葉だけではなく、人間としての自己成長とも、深く繋がっている。
世界って、おもしろいね。