感情表現とことばの成り立ち | ことばの魔法 ことばのチカラ~ことば探検家ひろが見つけたコトバと人間

ことばの魔法 ことばのチカラ~ことば探検家ひろが見つけたコトバと人間

ことばに宿る、不思議なチカラ。
人間の言語習得やコミュニケーション能力の奥深さはまだ解明されていないけれど、とんでもなくおもしろい。
気づいたら私のコトバ探検は本格化されていた。

自然習得と“直接法”学習』のつづき



私は日本語学習者のテキストを見るといつも違和感を覚える。


 わたしは いきます。

 わたしは たべます。

 あなたは 図書館に いきますか。


間違ってないよ。
間違ってないけど、ネイティブ日本人としては気持ち悪い。
だってこんな日本語、使ったことないんだもの。

日本語を見聞きしたことのない人に「日本語とは…」を「教える」わけだから、文法的基礎からきちんと積み上げていく必要がある
…という考え方が根底にあるのはわかる。

いきなり口語は難しい。
文の構造だってわからない。
だからここから始める。

「習得」ではなく「学習」だからこういう考え方に基づいている。


うん、言いたいことはわからなくない。
でも、やっぱり違和感は拭えない。


ここでひとつお伝えしておきたいのは
私は別に、この教授法を批判したいわけではないということ。


ただ
「私(普通の日本人)は使わないんだよな~…」というだけだ。

正確にいうと、
私も日本語学習者と会話をするときは
あえてこういう不自然な日本語を使うことがある。

そうじゃないと伝わらないという経験があるから。
裏を返せば「そう言えったら伝わった」という経験が、私にはある。
(『「か?」って言ってない!』『その日本語は使わない』参照)

だけど本当にこれでいいのかな?
本当にこれしか教え方はないのだろうか?
だってすべての日本人が、この事実に対応しているわけではないじゃない?


さらに私には、危惧していることがもうひとつあった。
(どちらかといえば、こっちの方が私には大きな問題)

それは

 私たちが学んでいる他の言語も、
 ネイティブ・スピーカーが聞くと不自然なものなのだろうか…?

 だったら嫌だなぁ…

 すごく、すごーく、嫌だなぁ…



そこで私は英会話教師をしているオーストラリア人男性に聞いてみた。

 「レベル1の生徒が学んでいる英語は、あなたにとって不自然?」

彼の答えは「NO」。

 「シンプルな英語だとは思うよ。
  でも別に、不自然じゃない。
  英語は、そのシンプルな文章に付け加えていくだけだから」

なるほど。

 「例えば『I eat bread.』
  これは長い文章の一部なんだよね。
  『I eat bread.』が
  『I eat bread in the morning sometimes.』になる。
  『I play succor.』とか『I wear fur.』とか、
  パターンを学んでいく感じかな。
  最初にすごく短い文章を学んでいく。
  もちろんネイティブが日常の会話の中で
  これだけを言うことはない。
  でも日本語みたいに“不自然”ではないよ」

ふーむ、なるほど。
そして逆に彼に問われた。

 「でも幼稚園とか小学1年生くらいの子たちは
  そういう日本語を学ぶんじゃないの?」



子どもとの会話は、大人同士の会話よりも文章が短い。
使う言葉もシンプル。
ついでに言えば、漢語よりも和語が多い。

でもたとえば親子の会話だったら

 親 「◯◯食べる?」
 子 「食べるー!」

小学校の先生と生徒の会話だったら

 先生 「◯◯食べますか?」
 生徒 「食べまーす!」

ナチュラルでシンプルな日本語には、あまり主語が入らない。
ついでによく見ると、助詞も入っていない。

 「あなたは◯◯を食べますか?」
 「はい、私はこれを食べます」

という会話は、日本人なら子供であってもしないのだ。
国語の教科書にも、こういった文章は載っていない。

ただこれが口語ではなく、文語になると…

 「私は◯◯を食べました。」

主語も助詞も入る。
教科書とは違うけれど、近くはなる。

 わぁお!
 日本語って難しい!


この基礎がないと難しい…というのもわかるはわかるのだ。
だって日本語学習者は基本的に日本語感覚がゼロなのだから。
右も左もわからない言語で、自分の中によりどころがないのは苦しい。

いつ主語を抜くのか、助詞を抜いてもおかしくないのはどんなときか。
そんなもの、私たちは感覚で培ってきたものね。
法則はあるのかもしれない。
でも、使っている人間はその法則を知らないのだ。

おまけに日本語は、口語体と文語体が全然違う。
しかも文章を読んだだけで、書き手が身につけている教養レベルまでわかってしまう。

これってきっと、学習者にしてみれば厄介この上ない。


「Simple English だよ」と教えてくれた彼が言っていた。

 言語ってさ、土台となる基礎も構造も
 それぞれ全然違うじゃん。
 初めて教える場合、
 たぶん日本語より英語の方が簡単なんだよ。
 まずはシンプルなものを伝えていけばいいから。

 あとはさ、表現方法が全然違うよね。

 たとえば「What's that?」。
 英語は声や表情の変化に自分の感情を乗せて伝えていく。
 使うのは「What's that?」の一語だけ。

 でも日本語は同じ「What's that?」を表したいときでも、
 その状況や感情によって使う言葉が変わるよね。
 「それは何ですか?」
 「それなーに?」
 「なにそれ?」
 「何じゃそりゃ?!」


確かに!!

こりゃ大変だ。
おもしろいけど。



自分にとっての外国語を習得しようとするとき、必ずしもネイティブレベルになる必要はないのかもしれない。

でもやっぱり、私は『よりナチュラルな』ものを身につけたいという欲が出る。


最近よく、英語のネイティブ・スピーカーに言われる。

 「ひろこがこれからすることは
  『Natural English』を身につけること
  もっと『Colloquial Language』を使っていくことだね!」

そうだよね~。