それにしても、5年。
2012年8月9日に、ついつい「更新一発目」を書いちまってから今週で「マル5年」経ったわけだ。
あれから5年で競馬の景色、競馬の色はどう変わったのか?
今では、「うまキュレ」「競馬のカリスマ」そういった競馬メディアがしっかり育つ為の応援団長みたいな事をして、いかにも良い人ぶってはいるが俺の本質は何も変わっちゃ居ない。
つまり、相変わらず性格は悪い!
まぁ、「競馬のカリスマ」をいっぱしのメディアに育てるためにも覆面馬主7号としての活動はこれからももちろん続けるが、それとは別に、ボチボチ原点に返って「通(ツウ)」としての動きを復活させようかと思っている。
競馬を楽しむのなんて簡単だ!
と言い続けて来たこの5年。
ブログから始まり、馬主仲間から誘われた「うまキュレ」での執筆活動が契機になり、本業の傍ら予想コラムなんかを書いてきた訳だが、原点回帰と言う意味では「ブログでくだらねー事を書き連ねる」という作業は、俺の生活にも必要なのかもしれない・・・と、ここ最近は思ってたら、今週がちょうど初回更新から5周年ということを思い出し、久しぶりの更新と相成っている。
でだよ。
そんな経緯なんてどうでも良くて、5周年だからこそ書きたい事がある。
うまキュレで書くか?
競馬のカリスマのコラムで書くか?
とも思ったんだが、久しぶりに「アメブロ」で書く事にした。
テーマはこれ。
「競馬の楽しみ方」
競馬ファンにも、そうでない人にも、DMMバヌーシーが始まった事が話題になった7月~8月。
「感動体験の共有」
と言うフレーズが理念となっているこのサービスを見て、そもそも長いこと色々な人と感動体験の共有をしてきている俺としては、何を今更・・・とも思ったが、もしバヌーシーが上手くいくなら、それはそれでやはり「ワイワイガヤガヤできる場所が無い」つまりは、競馬には、それを楽しむ上での「コミュニティがほぼ無い・・・」という証明なんじゃねーのか?
と思ったわけ。
そもそも「一緒に競馬を楽しんじゃおうぜ~」というコンセプトでブログやらコラムやらを書き続けてきた俺としても、バヌーシーの募集の方法に関しては「言いたい事山積み」だが、「感動体験の共有」って言うフレーズに関しちゃ、「いい事言うね!」とは思ってる。
そういう意味じゃ、競馬ってやっぱり排他的な世界なのかもしれねーよな。
競馬を楽しむ事。
いや、そもそも「何かを楽しむ」という行為に関しては、それなりの「知識」が無けりゃ楽しめないわけだ。
ましてや競馬は「優勝劣敗」の世界。
馬主活動するにしても、馬券を買うにしても、「勝てない」と面白くない。
だからこそ、何を言っても「勝利=感動体験」と言う狭義な答えに行き着いてしまうケースが多いわけだよな。
だからこそ、競馬ファンは「当たらない」、「勝てない」と犯人探しをしてその犯人らしき人に責任転嫁して罵倒するケースも多いわけだよね。
そもそも、「博打は自己責任」という大原則を忘れて、責任転嫁するというのは、楽しみ方をわかっていない子供が取る行為に近いわけだ。競馬ってのは「膨大な知見」を元にした、「未来の予測」なわけで、その知見が正確であればあるほど、未来の予測に対して「的を射やすい」という相関関係があるわけだ。
じゃぁ、「正確な知見」ってなんだ?
って事になる訳だが、この正確な知見を身に付ける事こそがすげー難しいのが「競馬」なわけだよね。
つまり、楽しんだり、「感動体験を共有」してもらうには、それぞれの「知見」も豊富で、「価値観」がそこそこ近くないと、タダ単に「勝利以外に感動する場面が無い」という、「ヒジョーにキビシー!」と言わざるを得ない状況が生まれちまうと見てるわけ。
つまり、何が言いたいかというと、排他的になりやすい土壌が競馬の根底にはある・・・って事。
そして、そういう「知見という土台の上に成り立った勝利」ではない「偶然の上に成り立った勝利」が連続したりすると、ギャンブル依存症に陥ったり、思い通りにいかなかった時に犯人捜しをして責任転嫁するだけの「競馬を嗜む資格すら持ち合わせていないんじゃないか?」と思える人が量産されるわけだよね。
俺のブログでも、過去様々な珍獣まがいの読者に絡まれてきたが、俺が弄るだけで、まともに相手をしなかったのも、「大人の嗜み」っていう事と永遠に交わる事の無い、「価値観」も違う「無知な人」っていうカテゴリーに属す人だと思ってたからなワケだ。
だって、競馬を楽しむには、少なからず勝利の体験が必要で、その為には「膨大な知見」が必要になるからね。
つまり、それを身に付けようともせず、当たった、外れた、そんな刹那的な結果の一部を切り取って殺伐とした空気を醸し出す人は、そもそも、競馬という複雑なゲームに向いていない人だと思って、もうそんなヤツラの相手もめんどくせーし、飽きてきたわ・・・と思って、ブログの更新を止めたんだが、ちょっと、諦めるの早かったかな?と思ってきてね。
これは競馬に限らず、スポーツなんかも同じだわな。
もし、野球が嫌いな人を野球好きにさせたいなら、「野球が面白い」と思える「知見」を与えりゃ良いわけ。
この選手はこんな人なんだよ!
〇〇県出身で、子供のころはこんな少年だったんだって!
とか、初歩的な話かもしれないが、相手が少しでも興味を持ちそうな「視点」から知見を与えなければ、いつまでたっても興味を持ってくれない。
俺は、どんな博打もするし、スポーツも何でもやるし、見る。
その上で、「スポーツ観戦なんてあまりしない」という人も、何人も様々なスポーツのファンに仕立てて来た。
しまいにゃ、俺よりも詳しくなる人が出てきたり、逆に俺が違う楽しみを教わる事もある。
そうなったらしめたものでよ!
その、サイクルで俺は永遠にいろいろなもんを楽しめるし、人に楽しいと思えることを与えてあげることも出来る。
その出発点が「知識」であるわけよ。
つまり、知識が無けりゃ面白いと思える「箇所」も少なくて、飽きるのも早いし、そもそも知識の与え方を間違えりゃ興味すらわかないわな。
そもそも、人間は勉強なんてすきじゃない。
唯一「え?これ?勉強のつもり無いけど・・・」と言いながら、いつの間にか勉強しちゃってる状況を作るために必要な「種」が「好奇心」じゃないか?
おそらく、俺のブログの読者は、競馬より、その知見より・・・
何じゃこいつは???
っていう好奇心から読み続けてくれたんじゃねーか?と思ってるわけ。
そういう意味じゃ、競馬は覚えることが多いから、「楽しむ」「嗜む」という領域に達するには、強力な「好奇心」を持ち続けなくちゃいけないし、そういう意味じゃ、やっぱり一人じゃ無理なのかな・・・とも思う。
だから「感動体験の共有」なんていう、キーワードが華々しく発表されて、そこに参加する人も居るわけで、あ!楽しそうじゃん!と思うわけだよね。
ただ、これってさ・・・
競馬関係者、おバカどーーーん!
お前ら、ファンに好奇心を持たせる事も出来ねーんだろ!
バーカ、バーカ!
って、俺には聞こえちまうわけよ。
なに~!
図星突きやがったな~!
ってね(苦笑)
競馬のコミュニティってのは「意見の相違」「価値観の相違」ってことが、許容されずらい空気感が蔓延ってるから、熟成し難いってのも事実なんだけど、その事実を、競馬関係者でもないDMMからビシっと突きつけられ、ある意味、「お前ら競馬に詳しくてもコミュニティを醸成熟成させられねーんだろ!」と言われたような気がしてよ(苦笑)
で、俺も「競馬は簡単だ!」ってぶち上げてる以上、もう一回ブログでも再開させて、ワイワイガヤガヤと「競馬を楽しむ場」を提供し、その先導役でも再開するかな!とね。
まぁ、俺は物書きじゃねーから、コラム書いてるだけじゃ面白くねーんだ。やっぱり、ワイワイガヤガヤで出来て、嗜みのわかるキチガイ読者達と双方向性のコミュニティーを熟成させたいんだろうな。
と、改めて思ったわけよ。
そういう意味じゃ、バヌーシーの設立は、俺の諦めかけた心にまた火をつけてくれたかな。
まぁ、ボチボチって感じで再開させるかな、ブログ。
ってことで、このまま放置!ってこともあるかもしれないが、ちょいちょい更新して行こうと思うぞ!っていう報告な。
じゃーな!