(にんじはいじあと)
国史跡
- 北流する葛下(かつげ)川に沿って、国道168号線が並走する香芝市北端の尼寺に廃寺跡が遺存している
- 尼寺廃寺跡は北遺跡(北廃寺)と南遺跡(南廃寺)の2つからなっている
- 北遺跡から南遺跡までは約200m
-
平成3年から北遺跡で発掘調査
⇒ 南北約70m、東西44.3mの回廊で塔と金堂を囲む大規模な寺院
⇒ 出土瓦の形式から7世紀中頃に塔が造営され、次いで金堂や回廊が構築されたと考えられている
- 平成8年 塔基壇から日本最大級の心礎発見
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南遺跡でも発掘調査を実施
⇒ 塔と金堂の基壇と思われる遺構が検出された
- 心礎のみ地中にあり、飛鳥時代の有力者が造営した塔の特徴をいくつか備えている
- 寺の由緒は不明
⇒ 聖徳太子建立の葛城尼寺とする説や敏達天皇の孫の茅渟王(ちぬのおおきみ)とその一族による造営という説がある
- 北遺跡を僧寺、南遺跡を尼寺と推定し、僧尼一対の寺院とみなす考え方も提起されている
石碑
全景
尼寺廃寺跡(北遺跡)
全体位置図
塔
- 基壇は一辺が約13.6m、基壇中央には地表下1.2mのところに塔の心礎が埋まっている
- 心礎は四方に半円計の添柱孔が付けられた特色のある形
- 心礎を中心に四個の四天柱、その外側に側柱の礎石8個が残っている
- 初層の一辺は7.08mと推測されている
- 塔心礎の柱座には、金銅製の耳環(じかん)12個、水晶製の玉4個、ガラス玉3個、刀子1口の荘厳具が納められていた
塔
金堂
- 基壇は南北18m、東西15mの規模
- 南北方向が桁行、東西方向が梁間と考えられ、南側の塔跡との関係から、東面する法隆寺式伽藍配置であったと推測されている
金堂
- 心礎のみ地中にあり、飛鳥時代の有力者が造営した塔の特徴をいくつか備えている
- 寺の由緒は不明
⇒ 聖徳太子建立の葛城尼寺とする説や敏達天皇の孫の茅渟王(ちぬのおおきみ)とその一族による造営という説がある
- 北遺跡を僧寺、南遺跡を尼寺と推定し、僧尼一対の寺院とみなす考え方も提起されている
住所 |
香芝市尼寺2-88 |
アクセス |
畠田駅 ~徒歩7分 |
時間 |
自由 |
費用 |
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