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最近、たまたま以前、盛んに
聞いていた曲が浮かんだんですが、
脳内とは不思議なモンで
過去に聞いた曲が
不意にやって来る場合?
音としての警鐘というか
ヒントっぽいニュアンスで
本人に教えてくれる場合があります。
今回はこれ。
日本でも有名なフォークディオである
サイモン&ガーファンクルの有名な曲である
サウンド・オブ・サイレンス(静寂な音)
と、いうのがあります。
私も昔、
親がよく好んで聞いていた
45回転のアナログレコードを
レコードプレイヤーに
針を落としてよく聞いていたのですが、
この曲は今歌詞を観ると
とても興味深いです。
題名からして
傍からみたら
非常に難解なんですが
脳内で起こっている
不測意な
自分だけしか感じられない
情景・ビジョン・イメージ・音声からの
示唆に対する
その感じた解釈に対する感情の
振れ具合を謳っているようです。
一歩間違えると
現代医学的には
やれ幻視・幻聴だとか
誇大妄想や強迫観念や
かつての分裂病的な解釈にも似ています。
その脳内に
来たものが
襲ってくる!
と見做すのか?
訪れて来た!
と見做すのか?
同じビジョンでも
それに
乗じられたり
踊らされたり
翻弄される
自分がいる時と
それを
啓示(慶事)として
受け取れるのか?
愉快に掘り上げるのだ(笑)
私はリーディング等からの
言葉やビジョンに対し一定の
余裕の距離感を保つ
愉快さというものを
この与えられた
示唆に対して
与えた側の感情と
受け止める側の感情との
整合性をほのかに確保する。
というのを
愉快にNMCでやっております。
個人的には
感じた時点の解釈というものは
時の流れで価値観が
まるで違うんです。
そん時に
嫌なビジョンや
警告めいたビジョンを
示唆されても
その時点で出会った時の
自分の心境と環境条件
対
相手先の総合条件で形成された
一連の解釈に過ぎず、
そのベクトルの指向性次第で
如何様にも変化するんですよ(大笑)
「そんな話
聞いてて驚かされた」
なんて話は
愉快にしなくてもいいのだ(大笑)
そんな答えや話は
おのずから
周波数が違うもんだと
愉快に優しく
疑ってあげてください
単に
余計に
迷うだけですから(大爆笑)
で、
言葉の示唆というのは
情報量としては
おのずと
限界があるものなんだなー
と、愉快に見なして十分なんです。
むしろ
不測意に発した状況とは
盛んに不測意によって
発掘出来うるものと
思っております。
私の開発したNMCも含めて
他人に
占いや
リーディングや
セッション
チャネリング
預言というのは
話が矛盾しておりますが、
そのありのままの
不確定な示唆から
その後の
自分自身の
確実かつ堅実な
遊び心の中にある
行動様式の中で
確定的な意味合いを
認識出来うるものなんです。
ゆえに
ゆえに
不確定のままに
他人から
他人へと
沈黙の音を
辿らなくてもいいんです。
それは
最初に認識した
不安や心配や
未知数への怖れに対する
感情意識の周波数を
抱いたままの
旅路になるからなんです。
探るなら
もそっと
愉快にしてあげるといいんです(微笑)
仕上げは
この曲の最後の一節です。
"The words of the prophets are written on the subway walls
(「予言者の言葉は地下鉄の壁にも」)
And tenement halls.
(「そして安アパートの廊下にも書かれてある」と)
And whispered in the sound of silence
(それでも沈黙の音の中で人々のささやきは続く・・・)
サウンド・オブ・サイレンス(沈黙の音)が感じる時
これでいいのだ
(つづく)
http://ameblo.jp/seiwa-nmc/theme-10070652528.html
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