兄弟の母は上杉氏出身の側室で、名を清子という。ふっくらとした頬と豊かな黒髪の持ち主で、始終柔和な微笑みを絶やすことはなかった。正室と張り合うなどといった事はせず、男子二人の子宝に恵まれていながら、少しもそれを鼻にかけている様子はなく、貞氏は清子のそんな出しゃばらない所を気に入っているようで、夫婦の仲は頗る良かった。
「又太郎が家督を継ぐなんてことは考えてもいなかったから。将来は高義様をお助けして、家を盛り立てるよういつも言い聞かせていたのだけれど」
そう言って清子は口ごもった。伏し目がちの目元で長い睫毛が揺れる。我が子には自分と同じように、あまり目立たないように育てたらしいが、ここに来てそれが正しかったのか不安を抱いているようだった。
「ご安心下さりませ。この師直が父共々、若君を嫡男としてお仕え申し上げる所存でございます」
師直は父に教えられたままの口上を述べただけだが、清子の目には若輩者の精一杯の誠実さに見えて、自然と笑みが零れた。
「頼もしい守り役ですね。あの子達のこと頼みます」
「はい、命に代えましても」
そう言って清子の前で平伏する師直の姿を、幼い二つの目がこっそり覗き見ていた。
「何度か若君達にお会いしましたが、御舎弟は随分と大人しい方ですな」
師直は清子の用意した珍しい唐菓子を眺めながら言った。こねた糯米を縄目のように編み、それを胡麻油でこんがりときつね色に揚げてある。揚げたての餅のなんとも香ばしい匂いが漂い、育ち盛りの師直としては食べたくてしょうがないのであるが、執事の息子として、ここはぐっと空腹に耐えるしかなかった。
「そうね、どちらかと言うと無口な方ね。それに次郎は決して兄の言う事には逆らわないの。あの子達の間で喧嘩らしい喧嘩はまったくないのよ」
清子はさも美徳であるかのように目を細めて語ったが、師直は奇妙な事だと思った。喧嘩もした事のない兄弟などいるのだろうか。ましてや歳の近い兄弟が争い事とは無縁だと思えなかった。
「次郎が面白い事を言っていたわ。兄上の考えていることは何でもわかるのですって。だから、兄上の望みどおりに動けば喧嘩にならないって」
「はあ」
「又太郎も言うのよ。自分も次郎の事はよく分かるって。話さなくても全部わかるって」
「それはそれは」
師直は感心した素振りを見せながら、内心不気味だと思った。少々兄弟で密着し過ぎているのではないか。聞けば兄弟には、友人らしい友人はいないらしい。従弟が遊びに来れば、共に最初は遊んでいるのだが、気づくといつの間にか二人だけで居るという。
身近に自分の事を何もかも理解している人間がいたとして、その居心地の良さ故に離れられないのではないか。それはまずい事だと思った。他人と言うものは、話さなければ理解しあえない、自分の思っていることが自然と相手に伝わっている事などあり得ないのだ。
高義が生きていれば、側室の子として多少おかしな所があっても許されるかもしれないが、又太郎はこれから嫡男として生きて行かなければならないのだ。大人になってから、弟がいなければ何も判断出来ない人間になっては困る。師直はまだ子供の内に、二人を引き離す必要があると思った。