秘境・上海情報 

上海の歴史、租界 戦跡巡り 只今日本に滞在中

 安徽省に帰ります。

四川北路街道計画 建物を移動する。大掛かりな作業が始まりました。 

大和ホテル 1928年開業の満鉄が経営していたホテル 海南路84号 
歴史建造物を生かして開発をする 歴史を繋ぐプロジェクトです

変わりゆく租界の跡地 いまの四川北路 乍浦路界隈の様子を紹介します。

『クリークにかかる橋の手前 から、流れに沿って建つ第四国民学校の校舎
の裏がみえるはずである。』 ・・今も見えます 校舎の外枠 土台が残り
人民病院の救急病棟になりました。 林京子 上海 ミッシェルの口紅より

変わっていないのが虹口救火会 今も消防署です。呉淞路 武進路交
当時はこの角を曲がり第四国民学校 中部日本人学校へ通学路でした

この交差点対面でばったり、ご近所さんに会いました。
旬の秋の味覚を買いに行くというので 一緒に行きました。

好好栗子 移転し豊陽館の客室だった赤レンガで営業してます 北海寧56
相変わらずの人気、栗一粒々職人の目で選別しています。

移転前の一帯は解体され塀で囲まれています。
海寧路(ハイニン路)に大きな総合商業施設が建つ予定です。

ウヰルス劇場 勝利電影院 1930年開園 乍浦路408 虹口盛り場にある
中心の映画館だった。海寧開発の一角に この建物も残されます。

豊陽ホテル 1894年築の日本人街の老舗旅館 北海寧64

日本人寺だった集合住居 当時使われた引き戸の収納があり
大切に使われています。これ本当に丈夫で便利ですって

95年経っても お寺の柱も階段もしっかりとしていました

租界時代 繁華街だった乍浦路 今も グルメタウンとして有名ですが

最近 めっきり人が減りました。向って右奥はピアスアパートです。 
1931年築 戦争時は日本人が独占 数々ドラマを生み出しました

六三亭 1898年 長崎出身の白石六三郎氏経営の 日本人街の老舗料亭 

時間がゆっくり流れていた 租界時代のまち 

保存されるもの なくなるもの それぞれの過渡期にはいっています。

・・安徽省に帰ります・・ 

租界の建物の終わりは かれらの上海生活の最後でもありました。

ナイトクラブのシャンデリアはそのまま その下で生活していたが
ビル解体のため立退きを迫られ 故郷に帰ることになりました。

ここで可愛い赤ちゃんを産んで育て そしてお腹には二人目の子がいます
安徽省に帰り出産する・・上海が好きだ 本当はかえりたくないと

2月に出産予定 赤ちゃんに会いに行く約束をした 必ず行くから・・

あのときの場所で 結ばれた愛 

愛in虹口 Love Hongkou 

想いでの愛しのホンキュウ それぞれの時が刻まれてゆく

好朋友が住んでいる虹口  優しい笑顔 素敵な夫婦

感謝朋友 いつまでも ここにいて・・・