T3-6 価値判断と権威問題


Do not judge, or you too will be judged.
人を裁いてはならない。さもなければ、あなたもまた裁かれてしまうであろうから。

For in the same way you judge others, you will be judged, and with the measure you use, it will be measured to you.
というのも、あなたが他者を裁くのと同じ方法であなたは裁かれることになり、あなたが用いた物差しがあなたを裁くために用いられることになるからである。

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Matthew 7-1
イエス・キリスト(マタイによる福音書第7章1節

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Great Spirit, help me never to judge another until I have walked in his moccasins.
偉大なる精霊よ、相手のモカシンで歩いてみるまでは、私が決して相手を判断しないようにお助けください。

Sinoux Indian prayer
スー族の祈り



何を笑うかによって、その人が何者かがわかる。

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マルセル・パニョル



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「とすると、この人たちみんな、一度はアウリンをもっていたということなのか?」 

「あたりまえさ!」アーガックスが答えた。「連中はとうに忘れちまってるがね。もっとも今じゃ、どうせなんの役にもたちゃしない、このあわれなあほうどもにはな。」 

「じゃあ、この人たち、アウリンは」バスチアンはいいよどんだ。「アウリンは、とりあげられたのか?」

「そうじゃないよ。」アーガックスはいった。「自分を帝王にしちまうと、そいつのその望みでアウリンは消え失せるんだ。わかりきったことじゃないか。ま、いってみりゃ幼ごころの君から、その権力を奪うために、当の幼ごころの君の権威を使うわけにはいかないだろう。」 

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Michael Ende
ミヒャエル・エンデ(「はてしない物語」より)

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テキスト3章から価値判断と権威問題についての一節です。


権威問題

"Authority Problem"「権威問題」は、コースに出てくる概念の中では、地味なほうですが、実はきわめて重要な概念です。

権威問題とは、誰が創始者なのかという問題です。

神は光源であり、神の子は光源から拡張する光であるというのが神と神の子の関係性です。

神の子による光の拡張が神の子が分離幻想を抱いて罪悪感から神の処罰を恐れ、恐怖の暗雲に包まれて、光の拡張をせき止めて、暗雲をスクリーンにして投影を行うことで生まれたのがこの世界であり、世界の中に人間というアバターを無数に作り出して、自分は人間だと信じ込む夢を見る状態に神の子は陥っています。

そのため、本来の光の拡張(創造)という機能を果たさずに、投影(誤創造)により影を生み出しているために、神の子には、自分が神に創造された存在ではなく、自分で自分を作り出したと妄想することができ、むしろそう信じることが正しいとすら思えます。

こうして、私たちは、神が創始者であることを忘れて、自分が創始者であると妄想し、権威問題を持つことになります。


権威問題は諸悪の根源

7.「This is "the root of all evil. "
 この権威問題こそが『諸悪の根源』です。」


権威問題を抱えることは、自分が神の創造力を簒奪したと信じることであり、神からの報復を恐れることになるし、自分の兄弟のことを創始者であることを自分と争う競争相手である敵とみなすことであり、こうして他者を自分の敵だと判断して裁くことは、自らも裁かれうる存在だと自分を貶めることになり、自分を消耗させ、病気と死を招くことになります。

しかし、権威問題は、あくまでも知覚、信念の問題でしかなく、私たちが神に創造された神の子であることは、私たちが何を信じるかによって左右されることではないので、必要なのは、現実を変えるために奮闘することではなく、自分が狂っていて間違って幻覚を現実だと信じ込んでいることに気づいて、間違った知覚を修正することだけです。





『裁くなかれ、汝が裁かれざらんためなり』

1.「When the Bible says "Judge not that ye be not judged," it means that if you judge the reality of others you will be unable to avoid judging your own.
 聖書が『裁くなかれ、汝が裁かれざらんためなり』と言うとき、それが意味するのは、もしあなたが他者が何者なのか価値判断して裁くなら、あなたは自分自身が何者なのか裁くことを避けられなくなってしまうということです。」

この聖句の含意をより敷衍するなら、兄弟を裁くとき、当然、私たちは、兄弟のアバターとは別のアバターが自分であると自己を身体と同一視して、自分と兄弟が分離していることを前提にしており、自分のことも神の子ではない人の子として価値判断することを余儀なくされるということです。


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テキスト 第三章

VI. Judgment and the Authority Problem
六 価値判断と権威問題



1. We have already discussed the Last Judgment, but in insufficient detail.
 私たちはすでに最後の審判について論じましたが、まだ十分詳細に考察してはいません。

 After the Last Judgment there will be no more.
 最後の審判が過ぎたあとは、もはやそれに続く裁きは何もありません。

 Judgment is symbolic because beyond perception there is no judgment.
 審判というのは象徴として表現したものです。なぜなら、知覚の及ばないところに価値判断による裁きが存在する余地はないからです。

 When the Bible says "Judge not that ye be not judged," it means that if you judge the reality of others you will be unable to avoid judging your own.
 聖書が「裁くなかれ、汝が裁かれざらんためなり」と言うとき、それが意味するのは、もしあなたが他者が何者なのか価値判断して裁くなら、あなたは自分自身が何者なのか裁くことを避けられなくなってしまうということです。



2. The choice to judge rather than to know is the cause of the loss of peace.
 知ることではなく価値判断を選ぶことが、平安を失ってしまう要因です。

 Judgment is the process on which perception but not knowledge rests.
 価値判断は、知覚が基盤を置くプロセスではあっても、知識には無用のプロセスです。

 I have discussed this before in terms of the selectivity of perception, pointing out that evaluation is its obvious prerequisite.
 私は以前に、このことを知覚の選択性の観点から話しました。その際には、知覚には評価することが明らかな前提条件になると指摘しておきました。

 Judgment always involves rejection.
 価値判断は、つねに拒絶することを必要とします。

 It never emphasizes only the positive aspects of what is judged, whether in you or in others.
 価値判断は、あなたのことであれ、他者のことであれ、決して判断対象の持つ肯定的な面だけに着目するわけではありません。

 What has been perceived and rejected, or judged and found wanting, remains in your mind because it has been perceived.
 知覚したうえで拒絶したものや、価値判断して欠けていると認めたことは、すでに知覚されてしまったために、あなたの心に残ることになります。

 One of the illusions from which you suffer is the belief that what you judged against has no effect.
 あなたが下した否定的な価値判断には何の影響力もないと信じるのは錯覚であり、この誤解はあなたを苦しませることになる幻想のひとつです。

 This cannot be true unless you also believe that what you judged against does not exist.
 あなたが、自分が否定する判断を下したものが存在しないことをも信じているのでないかぎり、あなたの否定的な価値判断が本当に何の影響も及ぼさずに済むはずがありません。

 You evidently do not believe this, or you would not have judged against it.
 自分が否定する判断を下したものが存在しないとあなたが信じていないことは歴然としています。そうでなければ、あなたがもともと存在しないものに対してわざわざ反対する判断を下したはずがないからです。

 In the end it does not matter whether your judgment is right or wrong.
 結局のところ、あなたの判断が正しかろうが間違っていようが、そんなことは問題ではありません。

 Either way you are placing your belief in the unreal.
 いずれにせよ、あなたは偽りを信じてしまっているからです。

 This cannot be avoided in any type of judgment, because it implies the belief that reality is yours to select from.
 いかなる種類の価値判断をするにしても、あなたは虚構を信じることを余儀なくされます。なぜなら、価値判断は、現実とは自分が自由に選び取れるものだという信念を前提にしているからです。

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3. You have no idea of the tremendous release and deep peace that comes from meeting yourself and your brothers totally without judgment.
 裁こうとする気持ちをまったく抱くことなく、自分自身や兄弟たちに向き合うときに湧き起こる途方もない解放感や深い心の安らぎがいかなるものか、あなたには皆目見当がつかないはずです。

 When you recognize what you are and what your brothers are, you will realize that judging them in any way is without meaning.
 あなたが自分は本当は何者なのか、自分の兄弟たちは本当は誰なのか、それを認識したなら、あなたは、どのような形であれ彼らの価値を判断して裁くことには何の意味もないと悟るでしょう。

 In fact, their meaning is lost to you precisely because you are judging them.
 むしろ、あなたが自分や兄弟たちの意味を見失ってしまっているのは、まさしく、あなたが自分や兄弟たちを裁いてしまっているせいなのです。

 All uncertainty comes from the belief that you are under the coercion of judgment.
 自分がつねに価値判断を強制されていると信じこむと、あなたはあらゆることに確信を持てなくなってしまいます。

 You do not need judgment to organize your life, and you certainly do not need it to organize yourself.
 あなたは自分の生活にまとまりを持たせるために価値判断を下す必要はないし、ましてや自分の気持ちを整理するために価値判断をする必要などありません。

 In the presence of knowledge all judgment is automatically suspended, and this is the process that enables recognition to replace perception.
 知識を前にすると、すべての価値判断は自動的に中断します。そして、この価値判断の中断は、知識による識別が知覚に取って代わることを可能にするプロセスなのです。



4. You are very fearful of everything you perceive but have refused to accept.
 あなたが知覚しつつも、受け入れることを拒絶したあらゆるもののことを、あなたはひどく恐れています。

 You believe that, because you have refused to accept it, you have lost control over it.
 あなたは、自分が受け入れることを拒絶したがために、自分が拒絶したものにコントロールを及ぼす力を自分は失ってしまったものと信じています。

 This is why you see it in nightmares, or in pleasant disguises in what seem to be your happier dreams.
 そのために、あなたは自分が拒絶したものを悪夢の中で見たり、それが、自分が今よりも幸せに思える夢の中で、魅力的ものに姿を変えているのを見たりします。

 Nothing that you have refused to accept can be brought into awareness.
 あなたが受け入れることを拒絶したものは、何ひとつ自覚できなくなってしまいます。

 It is not dangerous in itself, but you have made it seem dangerous to you.
 あなたが受け入れることを拒絶したものそれ自体は危険ではないのですが、あなたはそれが自分にとって危険なものに見えるようにしてしまったのです。

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5. When you feel tired, it is because you have judged yourself as capable of being tired.
 あなたが疲れを感じるとすれば、それはあなたが自分自身のことを疲れることが可能な存在だと価値判断してしまったせいです。

 When you laugh at someone, it is because you have judged him as unworthy.
 あなたが誰かのことを嘲笑うとき、それはあなたが彼のことを無価値な者だと価値判断したからです。

 When you laugh at yourself you must laugh at others, if only because you cannot tolerate the idea of being more unworthy than they are.
 もしあなたが、ただほかの者たちよりも自分のほうがさらに劣った無価値な者だという思いに耐えられないという理由だけで自分自身を笑うなら、本当は、あなたはほかの者たちのことを笑っているに違いないのです。

 All this makes you feel tired because it is essentially disheartening.
 このようなことはどれも、本質的にがっかりすることなので、あなたに疲れを感じさせてしまいます。

 You are not really capable of being tired, but you are very capable of wearying yourself.
 本当は、あなたは疲れることなどできないはずです。それでも、あなたが現に自分自身を疲労させることができているのも事実です。

 The strain of constant judgment is virtually intolerable.
 絶え間なく価値判断をして裁こうと気を張り詰めていると、ほとんどそれに耐えきれないほどになります。

 It is curious that an ability so debilitating would be so deeply cherished.
 自らを消耗させるだけの価値判断して裁く能力が、これほどまでに大切にされているのも奇妙なことです。

 Yet if you wish to be the author of reality, you will insist on holding on to judgment.
 それでも、あなたが現実の創始者でありたいと望むかぎり、あなたは価値判断して裁く能力にしがみついて譲ろうとはしないでしょう。

 You will also regard judgment with fear, believing that it will someday be used against you.
 いつの日か自分に向けて裁きが用いられることになるはずだと信じるので、あなたはまた、裁きを恐ろしいものだとみなすようにもなります。

 This belief can exist only to the extent that you believe in the efficacy of judgment as a weapon of defense for your own authority.
 こんなふうにあなたが裁きがいつか自分に向けられるのではないかと信じることがありうるとしても、それはただ、あなたが裁きには自分自身の権威を防衛するための武器としての使いみちがあると信じる程度までのことです。



6. God offers only mercy.
 神は、ただ慈悲だけを差し延べます。

 Your words should reflect only mercy, because that is what you have received and that is what you should give.
 あなたの言葉も、ただ慈悲だけを反映すべきです。なぜなら、慈悲こそあなたが受け取っているものであり、それが、あなたが与えるべきものだからです。

 Justice is a temporary expedient, or an attempt to teach you the meaning of mercy.
 正義とは、あなたが慈悲の意味を教わることができるように設けられた一時的な方便なのです。

 It is judgmental only because you are capable of injustice.
 正義が価値判断して裁くことがあるのは、単にあなたが不公正になる可能性があるからにすぎません。



7. I have spoken of different symptoms, and at that level there is almost endless variation.
 私は、物事のさまざまな症状について述べたことがあります。そして、症状が現れるレベルでは、症状にはほとんど無限のバリエーションがあります。

 There is, however, only one cause for all of them: the authority problem.
 しかしながら、それらの症状のすべてにはたったひとつの原因が存在するだけです。それは権威問題です。

 This is "the root of all evil. "
 この権威問題こそが「諸悪の根源」です。

 Every symptom the ego makes involves a contradiction in terms, because the mind is split between the ego and the Holy Spirit, so that whatever the ego makes is incomplete and contradictory.
 エゴの作り出す症状はどれも、必ず名辞矛盾を伴っています。なぜなら、心はエゴと聖霊とに分裂しており、そのために何であれエゴの作り出すものは不完全で矛盾しているからです。

 This untenable position is the result of the authority problem which, because it accepts the one inconceivable thought as its premise, can produce only ideas that are inconceivable.
 こんな受け入れがたい事態が権威問題の結果です。権威問題は、ただ想像もつかないような思考しか生み出すことができません。なぜなら、権威問題は、考えも及ばないような想念をその前提として受け入れているからです。



8. The issue of authority is really a question of authorship.
 権威に関して検討すべき問題点とは、実際には誰が創始者なのかという疑問です。

 When you have an authority problem, it is always because you believe you are the author of yourself and project your delusion onto others.
 あなたが権威問題を持つとすれば、それはつねに、あなたが自分自身の創始者は自分だと信じて、そんな自分の妄想をほかの者たちに投影するからです。

 You then perceive the situation as one in which others are literally fighting you for your authorship.
 この投影が起こると、あなたはほかの者たちがあなたが創始者であることを争って、文字どおり自分に戦いを仕掛けてきているものとして状況を知覚することになります。

 This is the fundamental error of all those who believe they have usurped the power of God.
 これこそ神の力を奪い取ったと信じるすべての者たちが犯す根本的な過ちです。

 This belief is very frightening to them, but hardly troubles God.
 自分が神の力を簒奪したと信じると、当人たちは非常に恐怖を感じるでしょうが、神はそんなことなど歯牙にもかけません。

 He is, however, eager to undo it, not to punish His children, but only because He knows that it makes them unhappy.
 それでも神は、自分の子供たちを罰するためではなく、ただ子供たちがそう信じることが彼らを不幸にするとわかっているがゆえに、神はその信念を取り消そうと努めてくれるのです。

 God's creations are given their true Authorship, but you prefer to be anonymous when you choose to separate yourself from your Author.
 神の創造物たちにはもともと彼らの真の創始者が誰なのか明かされています。それなのに、あなたが自分自身を自らの真の創始者から切り離すことを選ぶなら、あなたは創始者不詳の身になることを選ぶことになります。

 Being uncertain of your true Authorship, you believe that your creation was anonymous.
 自分の真の創始者が誰なのか確信を持てなくなることで、あなたは自分を創造したのが誰か不明だと信じるようになります。

 This leaves you in a position where it sounds meaningful to believe that you created yourself.
 こうして自分の創造者が不詳であると信じることで、あなたは、自分で自分自身を創造したと信じることが意味をなすかのように思える境遇に自らを置くことになります。

 The dispute over authorship has left such uncertainty in your mind that it may even doubt whether you really exist at all.
 この誰が創始者なのかという議論は、はたして自分は本当に存在するのだろうかとすら疑ってしまうほどの大きな疑念をあなたの心に残してしまいました。



9. Only those who give over all desire to reject can know that their own rejection is impossible.
 拒絶したいという願望を全面的に放棄した者だけが、自分自身が拒絶されることがありえないと知ることができます。

 You have not usurped the power of God, but you have lost it.
 あなたは神の力を奪ってなどいませんが、あなたが神の力を失ってしまったのは確かです。

 Fortunately, to lose something does not mean that it has gone.
 もっとも、幸いにして、何かを失うことは、その何かが存在しなくなったことまでは意味しません。

 It merely means that you do not remember where it is.
 それが意味するのは単に、あなたが自分の失ったものがどこにあるのか覚えていないことだけです。

 Its existence does not depend on your ability to identify it, or even to place it.
 あなたが失ったものを見分けたり、それを失くした場所を特定できるかどうかによって、あなたが失ったものが存在するようになったり存在しなくなったりするわけではありません。

 It is possible to look on reality without judgment and merely know that it is there.
 裁こうとせずに現実を見て、失ったものがそこにあるとただ知ることは可能なのです。



10. Peace is a natural heritage of spirit.
 平安は、霊が生まれながらに受け継いでいる天性です。

 Everyone is free to refuse to accept his inheritance, but he is not free to establish what his inheritance is.
 誰にも自分の相続財産を受け取るのを拒む自由があります。もっとも、彼には、自分が何を相続するかを決める自由はありません。

 The problem everyone must decide is the fundamental question of authorship.
 誰もが決着をつけなければならない問題は、誰が創始者なのかという根本的な疑問です。

 All fear comes ultimately, and sometimes by way of very devious routes, from the denial of Authorship.
 すべての恐れは、ときにはとても屈折した経路を辿って生じることもありますが、究極的には、真の創始者を否認することから生じます。

 The offense is never to God, but only to those who deny Him.
 否認されたからといって神に障りが生じることなど決してありません。しかし、神を否認する当人にだけは害悪が及ぶことになります。

 To deny His Authorship is to deny yourself the reason for your peace, so that you see yourself only in segments.
 神が創始者であることを否認すると、あなたは自分自身に対して、自らが平安であるための拠りどころを否認することになります。その結果、あなたは自分自身を無数の断片の中にしか見ることができなくなります。

 This strange perception is the authority problem.
 このような異常な知覚の仕方こそが権威問題なのです。



11. There is no one who does not feel that he is imprisoned in some way.
 自分が何らかの形で閉じこめられているように感じない者など、誰ひとりとしていません。

 If this is the result of his own free will he must regard his will as not free, or the circular reasoning in this position would be quite apparent.
 もしこのような幽閉されている感覚が彼が自由意志を持っていることの結果だとすれば、彼は自分の意志は自由ではないと評価せざるをえません。さもなければ、このようなものの見方が循環論法に陥ってしまうのはどう見ても明らかでしょう。

 Free will must lead to freedom.
 自由意志は、自由へと導くものであるはずだからです。

 Judgment always imprisons because it separates segments of reality by the unstable scales of desire.
 裁きは必ず幽閉します。なぜなら、裁くことは願望というぐらつく秤にかけて、現実を多くの側面に切り分けることだからです。

 Wishes are not facts.
 願望は、事実ではありません。

 To wish is to imply that willing is not sufficient.
 願望することは、意図するだけでは不十分だということを暗に示しています。

 Yet no one in his right mind believes that what is wished is as real as what is willed.
 けれども、正しい心にある者は誰ひとりとして、願望したものが意図したものと同じように現実であるとは信じません。

 Instead of "Seek ye first the Kingdom of Heaven" say, "Will ye first the Kingdom of Heaven," and you have said, "I know what I am and I accept my own inheritance. "
 「汝、まず天の王国を求めよ」と言う代わりに「汝、まず天の王国を意図せよ」と言うべきです。そうすれば、あなたは「私は自分が何者か知っているので、私は自分の受け継いだものを受け入れる」と述べたことになります。


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