舵を切って本当に良かったと心から思える日 | 横浜 コーディアル司法書士 所博之

横浜 コーディアル司法書士 所博之

LECと伊藤塾を通じて司法書士講師業25年のキャリアを活かしたブログ

簡裁代理権取得のための特別研修が始まって、土日のみならず、平日にも引率者として裁判傍聴に終日出向くことが多かったため、相変わらず忙しい日々となりました。
 
そんな最中、私の東京LEC時代のゼミ出身で大手商社の法務部で働く彼から、メールが届きました。それは、司法書士業務を始めるために3月末で退職するという内容でした。
彼の勤務する会社は日本を代表する商社ですから、そのまま定年まで仕事を続けるという安泰な選択もありますが、そちらを選ばずに、あえて50歳を前に冒険に出る道を彼は選択しました。もちろん、配偶者の賛同も得られてのことです。
 
彼からのメールに、「やはり、自分も所先生のような生き方をしたい。司法書士として、新しい世界を拓き生きてみたいとの気持ちが心にずっとあります。」というフレーズがありました。
 
その日の夜、すぐに彼は仕事を終えて新横浜の私の事務所に会いに来てくれました。
 
すでに私が現場での司法書士業務に取り組むあたりから、彼の現場行きの相談にも乗っていましたが、もし、今の私が少しでも彼の目標になっていたとしたら、こんなに嬉しいことはないと、彼の思いきった勇気をたたえるために、その夜、一緒に祝杯をあげました。
 
今更、人も羨むほどのお金を稼ぎたいとか事務所を大きくしたいとは思わない。しかし、今後の人生、自分の心に少しでも正直に生きていきたい。やらされている仕事ではなく、誰かのために自分の意思でできる仕事をしていきたい。会社や組織の規模に関係なく、一人の人に感動を与え、感謝をされる仕事を地道にしていきたい。という私の想いは、やはり彼も同じだったようです。
 
 
そう言えば、このゼミでは、私が伊藤塾で講師をするために上京してからは毎年新年会を開催しているのですが、私が東日本大震災で仙台荒浜へボランティアに行っている話しをした際に、涙を流しながら聞き入ってくれていた彼。
そんな私に習ってか、彼もそれから石巻にボランティアに行くようになり、翌年以降の新年会では、そこで、かけがえのない友人を得ることができたと話してくれていました。
 
そんな情熱的なハートを持った彼が、退路を断って、大海原へ航海に出ようというのです。
 
私は、いまでこそ、講師を辞めて良かったと心から思える状態ですが、1年目は、何度、講師に戻ろうと考えたことか。未練を断ち切るのが本当に辛かったこと。1日中電話が鳴らなくて電話器が壊れているのではないかと思って携帯で自分の事務所へ電話をかけたこと、1日中誰ともしゃべることがなかったこと、意に反して不動産業者等に営業に出ようと思ったこと、など数え切れないほど、講師を辞めてしまって後悔しかけた話しをし、このまま路頭に迷うのではないかと思ったこともあると話しました。
 
それでも、自分の心の中で決めた「司法書士としてのあり方」に絶えずこだわって日々の業務に取り組んでいたと。
それは、「どれだけ多くの人に感謝される仕事をしたか。どれだけ多くの人の心に染み渡る仕事をしたか。そしてどれだけ面倒で嫌な仕事に丁寧に向き合ったか。」
それを目標に現場での業務に取り組んできたことを話しました。
そんな想いにお互い心を振るわせながら、彼の門出を祝いつつ、まだ見えぬ困難を控えた彼を、僅かながらも激励ができたと思っています。
 
私が講師を辞めた当時、今ほど充実した司法書士業務が待っていることが分かっていたなら、何の心配も苦労もしないのですが、彼にそれが待っているのかどうかは、私にも彼にも全く分からない。
それだけに大きな不安も抱えることになりますが、私でさえ、今があるのですから、きっと彼も私と同様、舵を切って本当に良かったと心から思える日が来ることでしょう。
今はそれを信じ、いつか苦労話を話のネタに、一緒に飲む日々が来ることを願っています。
 
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