マクシミリアン・フランツは1756年12月8日、マリア・テレジアと神聖ローマ皇帝フランツ1世の間に第16子(末子)としてウィーンに生まれた。
バイエルン継承戦争で従軍中に大病を患って以来、聖職者の道に進んでいった。
後に、オーストリア領ネーデルランドの総督 叔父カール・アレクサンダー( カール・アレクサンダー )の後を嗣いでドイツ騎士団(カトリック教会の公認した騎士修道会)総長に、其の後は、ケルン大司教となった。
また彼は選帝権を行使した最後のケルン大司教である。神聖ローマ帝国を構成するマインツ・トリア・ケルンの大司教は14世紀の※「金印勅書」によって、「選帝侯」として特別な地位を与えられていた。
また、「太っちょマクシィ」のニックネームの彼は、ベートーベンを援助したパトロンであった。
※「金印勅書」
ニュルンベルクで開催された帝国議会において神聖ローマ皇帝カールによって発布された。この金印勅書はその後長きにわたって神聖ローマ帝国の基本的な体制を規定した。主な内容として、「ローマ人の王」(通常、ローマ教皇によって戴冠されて神聖ローマ皇帝となる)を選定する七人の選帝侯を規定している。大空位時代を解決するためだけの産物ではなく、封建制度も併せて規定された。