人生は強く,たのしく、しあわせに☆ ネオヒルズというよりも,ネオ日本人。

 人生は強く,たのしく、しあわせに☆ ネオヒルズというよりも,ネオ日本人。

1度きり、宇宙のチリとしての人生を
どうしたらもっと 楽しく出来るのか。

”緊張と緩和” のバランスが好き。

”マクロとミクロ” のバランスが好き。

強く優しい個人が 和をもって尊し ♬


ー 今日に感謝,明日に希望 ー

    そして今、行動





    人生は強く,たのしく,しあわせに 

  ネオヒルズというより,ネオ日本人


          



 
          強さとは やさしさ


   たのしさとは 家族や友達とのかけがえのない時間


      しあわせとは 自分の内からやってくる



        
         ” 大丈夫、全て気のせい ^^ ”




      あなたの心、そして気持ちがやさしく定まる時、

         あなたはあなたの人生の主役




          自分に自信と笑顔を持って、

          今日も明るく生きましょう 






  
       そしてこれからの自分、周りの人の為に、



          各自の個性を伸ばしながら、

         自分 というただの宇宙のチリを、

         惜しみなく世の中の為に役立てる 

       



           

           
 
       $人生は強く,たのしく、しあわせに。 ネオヒルズというよりも,ネオ日本人。




  
                     
  


      Happiness is real when shared

 
    しあわせを分け合える時、わたしの幸せは本物


                        



       Your happiness is my happiness


        あなたの幸せが,私の幸せ






                              


  Love the life you live. Live the life you love.

 

 

           Bob Marley



          あなたの人生を愛すること。

        そして愛すべき人生を生きなさい。




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銀杏の季節になった。

家の近所には銀杏並木、とまではいかないが、

雌の木が数本あり、毎年たくさんの実を落とす。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

今年は久しぶりに拾いに拾って、山盛りの収穫。

多分これの10倍くらい。




 


ところで。   

ぎんなんには深い、深い、愛がある。


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銀杏の皮は潰れたらクサイ?

グチャ、グニャ、プ〜ン  って、あれ。



、、、、、私にはそんなに臭くない、ギンナン。


これってチーズやドリアンの香りが大丈夫、ってことと

通じているような、いないような、、、?

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今年、道端にしゃがんで銀杏を拾っていると、

子供を連れたお母さんたちが横を通り過ぎるたびに、

「〇〇ちゃん、クサイから踏んだらダメよ〜!」  とか、

「△△くん、クサイから触ったらダメよ〜!」 

などを聞くのが不思議だった。


私は一人で銀杏を拾いながらこんな会話を小耳に挟み、

「ぎんなん、かわいそうに。無実の罪だ 」 

と 心の中で思っていた。


ということで敬遠されていた道端の銀杏は、

私だけで ” 独り占め ” 


わ〜い!! ということで  本当の山盛り、 独り占め。

拾いたい放題で大よろこび ♪

そして家に戻って、素手でギンナンをきれいにした。


で。

その日の夜はお風呂で手も何だかヌルヌル、スベスベで、

” あれ、何だか手の感触もいい感じ〜! ” 

と有難く思っていた。


ところが次の日の夕方。

ふと自分の両手を見てみると、見るも無残に皮が剥けている。

へェ〜〜〜〜〜〜?  


皮はどんどんボロボロ、そしてガシガシの手。

全体がささくれ立っていて、洋服さえ触れない。



調べてみると銀杏はとても強いアルカリ性らしく、

素手で触ってはいけないのは "  常識  "  らしい。


で、気がついた。

どうしてお母さんたちが大げさに 

” クサ〜イ! ”  ” クサ〜イ!! ” 

を言うのか。


これ即ち  親の愛。

子供たちに、「暗に」 常識を教えているのだなと。

昔の知恵。



そして、もう一つは銀杏からの愛。


「 ボクに近づいちゃ、怪我するぜ! 」  って、

銀杏のかっこいい独り言は、

あのクサイ匂いで表現されていたのだと気がついた。

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無口な銀杏に惚れてしまった 2016、秋

わかりやすい愛もあれば、

見えにくい愛もある。


無口だからって 伝えたい事がないわけではない。

表現が悪いからって 心が悪いだけではない。




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明日もみなさんにとってかけがえのない1日になりますように


そして 心身ともに健やかに。


ありがとう、

ごめんなさい、

許してください、

愛してます ❤️




どこで聞いたか覚えてないけれど、

あの世についたら神様から2つ、質問されるらしい。


ドキドキ。





まず一つ目の質問。

1  あなたは人生を楽しみましたか?



そして二つ目の質問。

2  あなたは人に優しくしましたか?



両方、” はい!” と答えられたら、それで十分。


「 人生お疲れ様でした❤️ 」   だそうです。


あんまり深く考えなくていいじゃない?

わたしたち、人生泳ぎきるだけでも 大変よ ♪

泳ぎきれただけで 金メダル。







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この週末もみなさんにとってかけがえのない時間になりますように


そして 心身ともに健やかに。


ありがとう、

ごめんなさい、

許してください、

愛してます ❤️


FB友達の話。平和に感謝。 **** うちの母の話しです。母は、8月6日は安古市に疎開していたそうです。朝、大きなキノコ雲が上がった。非常に遠くから眺めたはずなのに、後で気付くと頬に軽い火傷みたいなものが出来てたそうです。 そのうちドンドン大怪我をした人が運ばれ始め、これは大変に違いないと思ったそうです。夕方お父さんが大八車を引っ張ってやってきて「おかあさんが大変だ」と言う。 「どうじゃった」と聞くと「死体が一杯でさけられんから、いっぱい轢いてやってきた」言う。「死んでいると思ったら、生きていて「ウぅ」とか言って動くから『ごめん、生きとった』と思って『ごめん、ごめん』とつぶやきながら、やってきた」それを聞いて怖くなり、「帰りたくない。」と泣いた。 家は、港町の宇品に有り、川のおかげで延焼をまぬがれたのです。 おかあさんは、千田町で、建物疎開中に民家の屋根の上で正面から被爆し、おばけのようになって、家に帰ったら動けなくなった。家に着いた時「私よ。私」と言わないとわからなかったらしい。 垂れ下がった皮膚を切り取り、牛乳瓶にいっぱい火傷の薬をもらって来て、付けようとしたら「また、爆弾が来るかもしれんから、とっておきなさい」と言う。「何言うとるん」と叱って泣きながら塗った事。 正面をやけどしたので、寝返りが打てず、すぐ、床ずれができた事。 数日後に亡くなった事。 宇品小学校にはお化けのような人がいっぱい来て「水をください」というので、あげたらみんな死んだ事。死体を山にしてそこで焼いた事。臭かったこと。焼いていると次々と頭が落ちて来る事。火箸でおそるおそるつまんでいると小学校の先生が「こうやるんじゃ」と手で掴んで上に乗せた事。おとうさんがだるいだるいと言い始めて、翌年無くなった事。 広島に住む人の間では、こういう話しは珍しい話しではないんです。思い出すのも嫌だし、自慢する話でもない。だから、誰も話さないだけ。「大変じゃったんよ~」と言うだけ。 *********** 広島に居た18歳まで。8月6日は日本中が平和を祈って悲しみに包まれる日だと、てっきり思っていた。ところが広島以外で迎える8月6日のなんと普通な日であることか。 暑い日差しの中。今日がゴミ収集の日の人は、そのゴミの山がすべて人間だったと想像してみていただきたいのです。なんとシュールな光景でしょう。 やっぱり、戦争も原爆も良いはずがない。人の親なら戦争だけはいけないと、自分の子供に伝えて欲しい。そして、あらゆる公共団体が「戦争をしない、させない」ことが最大、最後の福祉だと思ってほしい。 #ヒロシマナガサキ #原爆 #原爆投下 #皮膚焦げた #体焼ける #平和に過ごせますように #普通が一番 #山積みの #死体の山 #死体 #平和に感謝 #平和を願う#永遠平和のために

Miho Oshiroさん(@mihooshiro)が投稿した写真 -




いい歳だから、

” やらなきゃいけないこと ”

” やらなくていいこと ”     

わかってる。


そして ” やってもいいこと ” 、とか、

やったら ” 多分” いいこと  とか、

色々なみえない縛りがあることも。



その狭間にいる 2016 夏 が 心地いい。

少し 自分の身勝手さ を感じるくらいが ゾクゾク 心地いい。


生きてるって感じ。

冷たい水。







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明日もみなさんにとってステキな1日になりますように


そして 心身ともに健やかに。





たいへんご無沙汰しておりました ^^



みなさま お変わりなくお元気でしょうか?


私は今年の3月までスペインにいましたが、

今は久しぶりに日本で根を張る準備をしています。


8年ぶりの ” どっぷり 日本 ” ^^!





スペインでは早起きして学校ヘ行っていました ^^





久しぶりのお勉強は本当に楽しかったです。





そして寄り道も w






6月には日本でブティックをオープンしました。

自分でも予期せぬ展開なのですが、

まあ面白そう ってことで ^^


で、まだ1ヶ月もたっていませんが、

久しぶりのビジネスは楽しい〜! です ^^!




これからの人生はまだまだ未定ですが、

これからもどうぞよろしくお願い致します。



ありがとう、

ごめんなさい、

許してください、

愛してます ^^











世界遺産のイビサ島。

それも複合遺産(自然遺産と文化遺産が共存する世界遺産)である

イビサ島は最近クラブシーンも有名。

こんなアワアワパーティーや水パーティー! 

イビサ

あ~れ~~って感じだけれど、

ヨーロッパ人は 「羽目を外しにイビサ」、らしい。

スペインでニュースを見ていても、

特にイギリス人のマナーの悪さが話題によくなる。

イビサ2

しかしイビサ島は世界遺産の中でも複合遺産(自然遺産と文化遺産)

なだけあって、本当はもっと素晴らしいものが沢山ある。

アルファベットを発明したフェニキア人が紀元前654年に港を作り、

そこから文化を作ってきたらしい。

フェニキア人はその昔からスペイン本土の金属をあつめ、

イビサ島で加工し、輸出。

つまり加工貿易の元祖で莫大な富を築いた事でも有名。

加工貿易国に生まれた私としては何となく最敬礼。


今でも2700年続いているこんな塩田があったり、

イビサ3

フェニキア人の遺跡はあるワ、そして海もこんなに美しいって ♡





でね、どうしてこんなに海がキレイかと言うと、それには秘密が ^^

実はこのイビサ島の周りには推定10万歳以上の海草達が生息し、

それが保護されているのです。

え、10「万歳」~~~??


その、世界一長生きの生き物の名前は、、、

「ポシドニア」。

背の高いものでは1,5mもあるって ♬

イビサ5

ポシドニア・オセアニカは「海藻」ではなく「海草」、なので、

海中で花を咲かせることもでき、植物同様光合成も行う。

1㎡あたり10リットルの酸素を一日で作り出してしまう

思い切り働き者な 「海の草原」。

ポシドニア ー ウィキペディア



ね、ね、スゴいでしょ?? 


そりゃー、海もキレイでいられるよねって、何となく納得 ♡



しかし現在は夜遊び文化があって、昔からは歴史、

そして今なお自然が融合しながらそれぞれが世界遺産って、、、

イビサは奥深い。



でもそう考えると外人から見た日本も 「実に奥深い」。

もっと日本の自然もバランスよく大切にしなくては。






今日もみなさんにとってステキな時間になりますように♬
 

   心身ともに健やかに。



     ありがとう、

     
     ごめんなさい、


     ゆるして下さい、


     愛してます。





「ようやく子供のような絵が描けるようになった。

ここまでくるのに ずいぶん時間が掛かったものだ。」

              ー パブロ ピカソ

ピカソ1


パブロ・ピカソ(1881年 - 1973年)は、スペインのマラガに生まれ、


フランスで制作活動をした画家、素描家、彫刻家。


ピカソ2



「想像出来る事は 全て現実なのだ」



ピカソ


画家として有名な理由はその不可解さだけではなく熱狂的な創作活動


ジョルジュブラックとともにキュビスムの創始者として知られる。


生涯におよそ1万3500点の油絵と素描、10万点の版画、


3万4000点の挿絵、300点の彫刻と陶器を制作し、


最も多作な美術家であると『ギネスブック』に記されている。


ーウィキペディア



ピカソ3


自分についてのドキュメンタリーが国宝


1955年にはアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督の映画、


『ミステリアス・ピカソ/天才の秘密』の撮影に協力した。


ピカソがこの映画で描いた絵画は、撮影後全て破棄され、


現在では見ることができない。


この映画は1956年の第9回カンヌ国際映画祭で審査員特別賞を受賞、


1984年にはフランス国宝に指定されている。 ーウィキペディア


ピカソ4


共産主義者としての表現者


スペイン内戦中、小都市ゲルニカがフランコの依頼により


ドイツ空軍遠征隊に空爆され、


多くの死傷者を出したことによりピカソが描いた「ゲルニカ」。


死んだ子を抱いて泣き叫ぶ母親、天に救いを求める人、


狂ったように嘶く馬などが強い印象を与える縦3.5m・横7.8mの


モノトーンの大作であり、


同年のパリ万国博覧会のスペイン館で公開された。


ピカソはのちにパリを占領したドイツ国防軍の将校から


「『ゲルニカ』を描いたのはあなたですか」と問われるたび、


「いや、あなたたちだ」と答え、


同作品の絵葉書をみやげとして持たせたという。


-ウィキペディア


ピカソ5

芸術家としてだけではなく、自分をブランド化したビジネス思考


”買物の際に小切手を使えば、


それをもらった商店主は小切手をどのように扱うだろうか?”


ピカソは次のように考えた。


「商店主は小切手を銀行に持ち込んで現金に変えてしまうよりも、


ピカソ直筆サイン入りの作品として部屋に飾るなり、


大事にタンスにしまっておくだろう。


そうなれば小切手は換金されないため、私は現金を支払う事なく、


実質的にタダで買い物を済ませることができる。」


出典

経済的にも大成功した ピカソに倣う「お金」の本質|ピカソの秘密|ダイヤモンド・オンライン



ピカソ6


生涯に結婚は2回、彼女は沢山、男性としても精力的 w


「自分には過去も未来もない。

ただ現在を生きようが為に絵を描くのである。」



半端ない数の作品を残すという事は、

日々半端ない創作活動を行い、

その上生涯いつも彼の横には女性がいた。



「私の創造の源泉は私の愛する人々である。」



男は愛と行動力、、、(^u^) 

え、女性は、、、愛嬌? w






明日もみなさんにとってステキな時間になりますように♬
 

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ビスカヤ橋は、スペインのネルビオン川に架かっている

世界最古の運搬橋


ビスケー湾に面した港湾都市ビルバオの河口付近にあり、

ポルトゥ ガレテ地区とゲチョ地区を結んでいる。

地元では単に「吊り橋」「運搬橋」とも呼ばれ、

また左岸の自治体名から「ポルトゥガレテ橋」とも呼ばれている。

ウィキペディアより


ビスカヤ橋


1893年に建設。

エッフェル塔を設計したエッフェルの弟子によって設計された。

世界初の運搬橋として、革新的な技術を用いた

鉄製のワイヤーが使われたことなどが評価。

現在もゴンドラは市民生活に根付いており、

高さ45m全長160mの上部を歩いて渡ることもできる。

(片道 5ユーロ)


ビスカヤ橋2

しかしこのゴンドラ、一度に300人と車6台が乗れるらしい!

片道 0.35ユーロ)

ビスカヤ橋3

上がってみるとね、

ビスカヤ橋5

あら~~~! 車や人が小さく見えて、川も遠い、、、w 

ビスカヤ4

そして人が渡る歩道にはこんな刻印が。

「ビスカヤ橋 - 世界遺産」 (・∀・)



ビスカヤ橋6


何だかとても生活感があって、ホノボノ、な世界遺産 (´∀`)


ホノボノスペインっていいね w


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今日もステキな1日を  (^u^)





ただの観光なら、1日に1寺、もしくは2、3のお寺を参る。

それが1週間で88寺、厳密に言うと高野山を含めて

89寺お参りすると、お寺が「お宅」に見えてきた。





隣の晩ご飯、ではなく 隣のお寺 w ^^

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



お寺は朝の7時から夕方の5時まで開門。

準備した写経と共にきっちりとお礼参りをしながら、

でも出来るだけ急いで帰りたかった私達は

お昼ごはんも車の中で食べながら時間をフル活用。



母と私は毎朝4時半に起きて、

6時半にはその日最初のお寺にいた。



山門で三礼をし、「お邪魔致します ^^」とご挨拶して、

まずはお手水場(ちょうずば)で手と口を清める。



お手水場 : 最初に心と身体を清める為に

        手を洗い、口を軽く清める所。




こちらはお水回りの苔と竹がスバラシク、




こちらはなんて清々しい紫陽花ともみじ。





こちらは定番の龍が中央に一匹だけ、

で、自然への畏怖と尊敬が感じられる。





こちらには定番の龍がいないものの、

石をあしらった私のお気に入りの1つ ^^




たまに横道からの入り口脇にも

小さな ”いらっしゃ~いお手水場” がある。


こんな風に、立て続けにお寺をお参りすると

どうしてもしてしまう、心の中で ”比べる” という作業。


日常生活の中で、人や物を出来るだけ

”比べないように” 生きているのに因果なものだな、

と思いながら次へと進む。





平均的なお手水場。


お手水場1つを見比べても、

お手水場自体の ”デザイン” から、

”屋根の大きさ” によって雨の日に配慮した“親切な場所”か、

タオルの掛け方や清潔さ、

そのお寺の住職の心遣いが感じられた。


まるで何日も取り替えられていないタオル、

かと思えば、洗濯バサミ2個でしっかり止められて、

朝一番から清潔なタオル。


まるで誰かのお宅へお邪魔したときの、お玄関の第一印象。

靴はきっちりとそろえられているか、

ホコリは溜まっていないか。

沢山物が飾ってあったり、飾ってなかったり、

でも “その人、その家族” が必ず表れている。



他人の家を1週間で88軒廻る事は出来ないけれど、

お寺を88軒で学ぶ事は沢山。



「神は細部に宿る」

「人の振りして我が振り直せ」

と、お手水場1つからでも強く感じた次第。


そして大きく反省した次第、、、♡





明日もみなさんにとってステキな時間になりますように♬
 

   心身ともに健やかに。



     ありがとう、

     
     ごめんなさい、


     ゆるして下さい、


     愛してます。



仏教が日本に広まったのは、

「争いが多く,数多くの天災にも見舞われた世の中と人々に

平安と治安をもたらす為」

が、建前。


でも本音は、

「聖武天皇が仏教をたてに国を治め、日本中に寺院建立を計り、

農民から金銭と時間を共に搾取する為」


と昔々に誰かに聞いてから、お寺が苦手になってしまった私。

神道が元々の日本の宗教ならば、

と神社をメインにお参りするようになった。



そんな私に今回帰国するや否や、

母が四国八十八カ所巡りに誘ってきた。

「運転してよ~、一緒に行こうよ~、楽しいよ~ ^^ 」

「うん、いいよ ^^ 」

あまりよく考えず二つ返事をしたものの、

その準備は海外に行くよりも大変なものだった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


ただの運転者として同行する気だった私に、

母が行く前に写経しようと誘ってきた。


「うん、いいよ ^^」


以前写経をしていた私にとって、

写経とは 単純に 「文字を写す事」 だった。

88枚? 今からなら1日3、4枚で楽勝楽勝♬ (・∀・)/



ところが私はこの時2つの大きなミスを犯していた。


1つ目。


運転者として88個のお寺ひとつひとつ丁寧に道路を調べ、

時間を調べ、周りを調べ、、、

ついでにお寺の歴史もフムフム、、、

ホホ~、このお寺はこんなご利益があるのね、

ホホ~、その頃の日本の歴史はそうだったのね、なんて

調べていた間に、
もうすでに私は 「運転者」 ではなく


「巡礼者」 のメンタルに入ってしまっていた。


だから
以前は「文字を写す単純作業」であったはずの写経が

いざ書き出すと般若心経の意味を考え、

その上写経の最後に書く、 「為」 が私の心に引っかかった。


お願いごとが基本的にない私には、

「為」のところにはお世話になった人達の名前を書こうかな、

それともやっぱり世界平和の「為」かしらなど、

「考える」。


今まで沢山の人にお世話になったな、

あ、あのお寺なら眼病のご利益があるから

目の悪いあの人の名前を書こう、

あ、あそこのお寺はボケ封じ。 

だからあの人、、、お元気かしら、、、?

と、とにかく 「考える」。



つまり 
「文字を写す単純作業」 だったはずの楽勝写経が

今までの「人生を考えさせられる場」と化してしまった!


結局まずは88人、お世話になった人リストの作成、、、。

次はお寺毎のご利益リスト作成、、、。


ただ写すだけの写経とは大違い。

まだ写経にさえたどり着けない。



そしてそうなると 次に”スラスラ” と文字が書けなくなった。


色々な人の顔を思ったり、

今までの山の様な思い出が蘇ったりで

字が ”軽く” 書けない。


普段筆ペンなんて滅多に使わないので、

余計一文字一文字の点、ハネ、止め、はらいも気になる。


心を込めなくっちゃって思い、

で、でもこんな時に限って筆ペンの調子が悪かったりで

写経紙にインクがにじんでしまったり、

とにかく以前より 「時間が掛かる」。


で、その上今までの自分の人生についてだけではなく、

「余分な事」 も 「沢山考えて」 しまう。


昔の人達なんて紙と墨なんて気楽に買えたのかな、、、

いやいや、文字なんて書けたかな、、、

お金と時間に余裕がなかったら四国までなんて行けないよね、

だからやっぱり仏教って搾取の宗教?

自分の血で写経を書いた人だっていたんじゃない?など。


となると グーグールタイム。



書く → 調べる → 考える → 書く → 調べる、、、

という恐るべしメビウスの輪。







そして2つ目のミスは6月に自分のお誕生日がやって来た事。

これはとてもウレシく楽しいロスタイム w  ^^





沢山の友達やこのケーキに癒されたり、






こんなタイムリーなプレゼントも頂いたり ^^

この足踏みマットはもちろん持参して毎晩大活躍♡


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ただ四国を母と一周するだけかと思っていた

八十八カ所参り。


ところが 「写経を88枚用意する」

というだけで、その意味合いは大きく私の中で変わった。


この「写経」作業は今後行かれる方に強く、強く、おススメ。



同じ一周するにしても、

廻る値打ちが ”ずっしり” と心の中で違ってくる。



今となると大変だった写経もどう考えても有難いと

思える出発準備。


写経88枚の準備を教えてくれた方に心からの感謝。







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今日もみなさんにとってステキな時間になりますように♬
 

   心身ともに健やかに。



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     愛してます。