旅と歴史

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乙訓寺

2017年10月16日 | 旅 歴史
 京都府京都府長岡京市今里に乙訓寺(おとくにでら)があります。
 乙訓寺は真言宗豊山派長谷寺の末寺で、牡丹の寺として知られています。推古天皇の勅願で聖徳太子が開いたといわれ、長岡京造営以前に創建されました。延暦3年(784)桓武天皇が長岡京を造営した時には都の地鎮として大増築されたようです。
 延暦4年(785)建都の長官・藤原種継が暗殺されました。犯人と交流のあった早良親王は連座し、淡路島に流される前に乙訓寺に幽閉されました。親王は桓武天皇の実弟で皇太子でした。身の潔白を示すため断食され、配流途中、高瀬橋で絶命しました。
 弘仁2年(811)には、唐から帰朝した空海(弘法大師)が乙訓寺の別当となり、高雄山寺(神護寺)から移り、1年ほど住しました。最澄(伝教大師)がここに空海を訪ね、密教の典籍や絵図を見て歓談したという記録が残っているそうです。
 宇多天皇は寛平9年(897)に譲位し、乙訓寺を行宮とされ、堂塔を整備され法皇寺としたそうです。長岡京が廃都となっても大きな伽藍は維持され室町時代でも12の僧坊があったようです。足利義満によって禅宗にされ、織田信長の兵火で衰微します。
 江戸時代、将軍徳川綱吉の援助で長谷寺で修学した隆光が中興します。綱吉の母の桂昌院の帰依により寺領100石を寄進されました。真言宗に戻され、堂宇の再建、乙訓寺法度も制定され、徳川家の祈祷寺となりました。
 平安時代後期の木造毘沙門天立像は国の重要文化財に指定され、本堂、八幡社、鐘楼、表門(南門)、裏門(東門)、十一面観世音菩薩立像は長岡京市指定文化財です。乙訓寺遺跡からは瓦、瓦を焼いた窯跡、僧坊跡などが出土しています。

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