スパニッシュ・オデッセイ

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『沈黙 Silence』を見て考えた

2017-08-17 17:17:30 | トリビア
 遠藤周作の小説原作の『沈黙 -サイレンス-』を見た。
 
 考えることはいろいろあるが、まず「神の沈黙」について一言。
 ロドリゴ神父が十字架にかけられたイエス同様、「神よ、なぜ私をお見捨てになるのですか」と言った。
 このイエスの言葉は『マタイによる福音書』 にも『マルコによる福音書』にも記述がある。元は旧約聖書 『詩編』 第22編冒頭の言葉である。
 ところで、キリスト教の「神」(英 God, 西 Dios ラテン語・ポルトガル語 Deus)や多神教の神々などは人格を備えている。イスラム教のアッラー(「神」の意)もそうである。
 詳しくは「人格神とは」を参照されたい。
 神が人格を備えているからこそ、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」という言葉も出てくるのだろう。もし人格がなければ、見捨てるも何もないではないか。
 アインシュタインには「神は強い筋肉を持っているが人格は持たない」という言葉があるそうだ。詳しくは牧村和幸氏のサイトをご覧いただきたい。
  神を人格的存在とは認めないものに、「理神論」(英 deism、西 deísmo) や「汎神論」(英 pantheism、西 panteísmo) があるが、これらの考え方に賛同するかどうかはともかく、17世紀初頭のカトリックの常識としては、神には人格があるのが当たり前だったことだろう。そうでなければ、父と子と聖霊の「三位一体」(英 Trinity、西 Trinidad)などありえない。
  万一、神父ともあろうものが神の人格に疑問を持つようなことがあれば、異端審問にかけられ、最悪の場合、火あぶりに処せられたかもしれない。
 前置きはここまで。以下、次回。
 

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